引越し

 朝起きると喉がイガラッポイ。 どうやら風邪気味である。 昨夜は何時になく多めに酒を飲んでしまった。 嫁さんところから持ってきた井上荒野の「ズームーデイズ」を読んで色々思うところがあり、飲んでも飲んでも酔いがまわらないのでついつい深酒してしまった。 深酒と言ってもせいぜい日本酒二合ほどと缶ビールであるが・・・これだけでも今のオフには普段の倍量であって、掛け布団を跳ね飛ばして寝てしまっていた。
 加西市は盆地のような地形なので夕方から冷えて来て、朝方になるとまあまあ冷える。 昔、盆地地形では夜間地面に接する空気が冷え、冷えた空気は重いので次第に低い方へ流れ一番低いところに溜る、と習ったおぼえがある。 
 一昨日の天気予報では今週は晴れマークが並んでいたと思ったが、今日の予報ではガラリと変わり傘がマークがやたら多い。 太平洋上にあった梅雨前線が北上してきたようで、いよいよ梅雨本番であるが、加西の家の裏庭にあるガクアジサイが綺麗だ。 ガクアジサイはどちらかと言えばやや日陰のところに咲いている方が引き立つような気がする。


 今日加西から姫路へ引越ししたので、今夜からは姫路の家で眠ることになる。 姫路の家はまだまだ廃棄処分をするものが多いので、現在は家の中はワヤワヤであるし、とにかく畳も天井も壁もあらゆるところが汚いのだが、こんなところで寝るだけで身体が汚れてしまうような気がする。
 ライフラインでは電気はブレーカーこそ落としてあったが、電源は切られていなかったのでそのまま使っている。 水道もそのまま出るので使っているが、調べて見ると庭に井戸がありそこの水をポンプでくみ上げているので、市の水道は引き込まれていない。 下水道も同じで宅内の桝すらない状態であるし、便所は汲み取り式である上に建物の外部に便所小屋があってそこまで用をしに出ることになる。 ガスは配管はしてあるがボンベが外されて無くなっていて、現在は卓上コンロで調理している。 すぐ近くには<餃子の王将>もあるのだが、外食嫌いなので今日は卓上コンロで得意のオムライスを造って食べた。


  今日の仕事


 加西の家にあったソファー、寝具、調理器具や冷蔵庫の中の食品などを軽トラに積んで、家の中全部に掃除機をかけてから姫路へ向かう。
 姫路の家もまず掃除機をかけ、軽トラで運んだものを降ろす。 庭に木材を置く簡易の小屋を単管で組んで、塩ビの波板の屋根をするための垂木をホームセンターへ買いに行く。

 

結果

 昨日、明石のがんセンターで血液検査と骨髄液の検査の結果を主治医から報告を受ける。 結論からいえば、グロブリン(IgG)の過剰産生による進行性の悪性腫瘍性疾患、つまり多発性骨髄腫であると正式に決定した。
 今後、高カルシウム血症,貧血,腎障害および細菌感染に対する感受性の増大が起こる可能性が強く、そのような病変が具体的に現れた時点で抗癌剤などを使ったいわゆる化学療法といわれる治療が始まる。 それまでは定期的に1〜2ヶ月に一度の血液検査を受けながら経過を見る、ということである。 ということは、この病気に対しては現在では根本的な治療法がなく、現れてきた疾患に対して対照的に治療をしていくということしかないということだ。  また、病変が現れるまでは、無理をしないようにして今まで通りの生活を送ることが出来る、という事だ。
 それに、まれにはくすぶり型骨髄腫というのがあってなかなか症状がなかったり、経過中ほとんど状態が変わらなかったりするタイプのもあるというこという話もでたが、これも経過を見ていく結果で分かるだけだということだ。


 配管屋に姫路の家の仕切りのブロックの塀を壊して庭二車を駐車できるスペースを確保してもらう。 これで明後日から生活の場を加西から姫路に移せることになった。

PCの移動

 加西の家に置いてあったパソコンを姫路に移動した。
 回線を繫いでもらい電源とADSLとにパソコンを繫ぐだけで簡単に使えるようになってホッとしている。 当地では光ケーブルも申し込めば使えるということで申し込んだが、息子からブログを書いたりしているだけなら何も光ケーブルを曳くことはないよ、とのことでそれはキャンセルする。


 明日県立がんセンターで、先の骨髄穿刺や血液監査の結果について医師との話し合いがあるので、今日はこの後神戸の嫁さんのところへ行く。 
 その席で主治医から今後の治療方針などの話があると思うが、謹んで拝聴してくるつもりだ。


 今日はNTTの人が来るのを待つ間家の中のガラクタを仕分け整理したが、まだまだ布団とか沢山あるのでなかなか終わらない。 今日は軽トラに乗って来ていないので、これらを廃棄に行くのは来週になる。
  

記号化

 すでに入梅しているのだが、そうでないような、またそうであるようなあいまいな天気が続いている。


 横浜のランドマークタワーで子供たちと食事をしているちょうどその同じ時刻に、東京の秋葉原では無差別の殺戮が行なわれていたことを知った。
 似たような事件は、アメリカを始めヨーロッパなどでも若者の銃の乱射という形で頻発している。
 その都度(殺す相手は)誰でもよかった、という言葉が言われるのだが・・・相手が具体的な怨恨の対象でない状態で人を殺すというのはかなり難しいことなのに・・・と思う。
 たとえ相手が見ず知らずの人間だとしても、少なくとも相手に「異教徒」ととか、「テロリスト」とか、「国賊」などのレッテルを貼って殺すのはまだやすいだろうが・・・
 これまでも精神を病んだ人が、殺せ、という幻聴などをを聞いて本人すら意味不明のまま目の前の人を殺戮するということはあったが・・・正常と異常のその線引きすらがあいまいになって来て、と言うか、なくなりつつあるような人間の状況が世界的に起きてきている気がする。  社会が脳化を加速すればするだけ、人と人との絆も希薄になり、その分病理も加速されるというのは間違いないだろう。 


 内田樹氏は、そのブログの中http://blog.tatsuru.com/で、


 ≫他人の人体を破壊できるのは、それが物質的な持ち重りのしない、「記号」に見えるときだけである。
だから、人間は他者の身体を破壊しようとするとき、必ずそれを「記号化」する≪ 
 
 ≫今回の犯人の目にもおそらく人間は「記号」に見えていたのだろう思う。「無差別」とはそういうことである。
ひとりひとりの人間の個別性には「何の意味もない」ということを前件にしないと、「無差別」ということは成り立たない≪


 ≫「記号に読み替えられたことで死んだ死者たち」については、私たちもまたそれを「記号として扱う」ことを強いられるということである。
私たちは記号的に殺された死者たちをもう一度記号的に殺すことに「加担」させられることなしには、この事件について語ることができないという「出口のない状況」に追い詰められているのである≪

 この事件を考える時に<やるせない>思いだけがつのって来て、人々が何かを物差しにしてこの事件を語っていても、語られる後からより本質的なものが次々に零れ落ちてしまっていくような<むなしい>感じだけが残ってしまう。 

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ


 自分でも、甘いだろう、と思いながら・・・どういう訳か宮沢賢治のこの美しい詩のフレーズだけが頭の中で何度も何度もこだまする。
 

 今日の仕事


 姫路の家のガラクタを美化センターへ運ぶ。

骨髄移植

 娘とオフの病気のことについて話した。
 骨髄の病気ではいわゆる骨髄移植という治療法があるが、これは兄弟姉妹の骨髄を移植する方法と、まったくの非血縁者からもらうケースとある。 適合する確率は兄弟姉妹の場合は25パーセント、非血縁者間では数百〜数万分の1といわれている
 このことについてオフの考えを娘に話した。 まず、骨髄移植という治療はオフは受けないつもりであると・・・オフには唯一両親が同じ弟がいるが、たとえ型が一致しても骨髄の提供を受けるつもりはない、と話した。 骨髄を提供すると簡単に言うが、提供する側が二週間ばかり入院して手術を受け大変なのである。
 娘はまったくの他人より親子だと少しはマシだろうから、自分の型が合えば提供しても良い、と言ってくれた。 そのことはたいへん嬉しいが、たとえそれでもオフの側に受ける気持ちがないことを伝えた。 というのはそをすれば完全に治るという保証はないし、かえって悪くなるという場合もあるみたいである。 だが、医師の言うことによれば、保障は出来ないが現在この治療を受けた場合、唯一完治する可能性があるということらしい。


 その他に自己末梢血幹細胞移植というのがある。 詳しくは分からないが、要約すると体内の普通の血管内を流れる血液には造血幹細胞はほとんど含まれていないという。 そこへ造血因子を投与すると、移植に行うのに十分な幹細胞を確保できるということらしいのだ。 この方法により末梢血からガンに冒されていない正常な造血幹細胞を採取・保存し、自家移植することが出来るということのようだ。 これが自己末梢血幹細胞移植であるが、先日話した主治医の話では、これはかなり効果があるが、残念ながらこの方法で完治することはなくて、時間の経過と共に再びガンは増えてくるらしいということだ。 オフは医者がすると言えば、この治療は受けるつもりであることは娘に伝えた。
 
 自分の命というものは、自分にとってもまわりの人にとっても掛け替えのないものだということは十分分かるのだが、自分の命を救うため少しでも人の命を危なくする可能性がある場合、それを受けるのに躊躇するというのは当たり前のことだろう。 たとえ相手がその危険を承知の上だと言ってくれてもである。 命というのは長ければよい、短ければ悪い、と決められているものではないだろう。 自分なりの判断で、選択で、これまでやってきたように、この先もそれでやって行き、これまでと同じく上手く行く時もあるし、しくじる時もある・・・それで最後が来たらじたばたせずにそれでお終いにする、それで十分だろうと思うのだ。  


 今日の仕事


 姫路の家の中のものを軽トラで美化センターへ運ぶ。 三回分を合計すると400キロ以上あった。

食事会

 先週末、新幹線で東京へ行き、日曜日の昼子供たち三人とその妻と孫二人と横浜のランドマークタワービルの上で食事会をした。
 数年前から誰が言い出したわけではないが、一年に一度オフが東京へ出向き、その時食事会をするのが慣わしのようになっている。  子供たちが成長して独立し、それぞれ首都圏で仕事を持ち、家庭を築いたり、自活している。 ごく当たり前のことのようでもあるが、たいへんありがたいことだなぁ、とフト食事をしながら思った。 この席へ嫁さんも一緒に連れて来たかったのだが、今は彼女は両親の病状もあり、たとえ一日だけだとしても家を空けることが出来ない。 それでも三年ほど前一度だけ嫁さんも交えて横浜の中華街で食事をともにしたことがあった。 彼女の両親の不幸を願うわけではないが、この席にまた嫁さんも加わる日が来ることを願ってやまない。


 土曜日の午後新宿駅で娘と待ち合わせて、ブラブラ歌舞伎町へ歩いて行き二人で映画を観た。 娘は三谷幸喜の映画を観たがったが、沢山の人が列をつくっていたので、仕方なしにたまたま時間が合うトム・ハンクス主演の「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 」という映画を観た。 この映画をトム・ハンクスは主演のほかに製作も引き受けたらしいが、いかにも彼好みでオフが嫌い(笑)な内容であった。 この後歌舞伎町ではロードショウとして「ランボー」とか「インディ・ジョーンズ」とかの封切りが予定されているらしいが、柳の下のドジョウを狙う企画が多いということは、ハリウッドがそれだけ意欲的な新しいものを造る元気がないことを物語っていると思われる。 こんな点でもアメリカの文化面での地盤沈下が窺がわれる気がする。
 その夜は下の息子も加わってお酒を飲み、娘の所に泊めてもらった。 新目白通り沿いのかなり古いビルの六階で、一応マンションと名がついているが1DKである。 ここにはこれまでオフが東京に出た時に何度か泊めてもらっている。 土曜の夜なのでやかましい車が夜中じゅう走っていたようだが、久しぶりに大勢の人を見て疲れていたのかよく眠れた。


  家の売り出しに関してはまだ始まったばかりだが動きが悪いようだ。 先に売り出しを始めた加西の不動産屋にはまだ問い合わせが一件もないそうだ。 今日丹波の不動産屋画部屋の間取り図を調べに来て、こちらはこれを元にこれからホームページに掲載するとのことだ。 八千代の家の時は売り出すと同時に家を探している人が何組か見に来たものだが、今回はまだ一件もない。 外観の写真や間取り図だけでなくて、来て実際に自分達の目で見なければこの家の良さは分からないだろう。 願うのは家を捜して建売の新築などをあちこち見て回っていて、家に関する知識が増えてたようなやや若い人に来て見てもらいたいと思う。 家を見てくれだけでなく、実質で比較検討出来る力のある若手の人達に見てもらいたいのだが、残念なことにそのような人達はこのような築年数が古くて広い家をハナから除外していることが多いのだ。


  数日前のニュースに以下のようなのがあった。 


 http://sankei.jp.msn.com/life/body/080606/bdy0806060011001-n1.htm


 いよいよIPS細胞を医療の分野に生かす研究が端緒についた。
 このニュースからでは倫理委員会が承認した研究の中に、同じ難病の多発性骨髄腫の研究が含まれているかどうかは分からない。
 たとえ今回は含まれていなくても現在移植の外有力な治療法がない病気だから、いずれこの病気も研究が始まるだろうと思う。 たとえオフは間に合わなくても、子供たちが発病するような年齢のなるまでに移植医療の治療法が確立するのを期待する。 オフの子供たちがだいたい今30歳前後だから、治療法が見つかるまでこの先30年ほどの時間がある。 ここまで子供のことを心配するのは、彼らの母方のお祖父さんも実は急性白血病で亡くなっているからなのである。

彫り物

 朝の内は晴れていたが、10時過ぎあたりから雨になり午後になり雨は強く降る。
 昨日だが、裏の狭い路地に車を停めて積み込み作業をしていたら、東側の裏の奥さんが来て、家の中を見たいと言う。 どうぞどうぞと言う。
 裏の奥さんの家は戦争中の空襲で焼けたのだそうだが、道を挟んだここの家は焼けなかったので小さい頃しばらくここの家で過ごした事があるのよ。 とのことである。 大きな仏壇があるのを見て、まさか奥さんのお骨は置いてないでしょう、と深刻な顔をして言うので、笑って、それはないですよ、と答え、でもこの古い仏壇は処分するしかないんですよねぇ、と言うと、そうですねぇ仕方ないわ、と答えた後、ここに住んでいたお爺さんの話をしてくれた。
 阪神淡路大震災の前ごろから、あの男がこの家に住むようになったんですよ。 その内ある日何人かの人が集まってきて、今日は結婚式だ、と言って・・・もう朝から飲むや唄うやの宴会が始まって、夜は夜中まで近所迷惑もなしに大きな音でカラオケですよ。
 アハハ・・・そう言えばカラオケセットと沢山の演歌のテープがあったなぁ・・・
  実はねぇ・・・ここの家の奥さんはその前にもまた別のおかしな男を連れ込ん一緒に住んでいたことがあるんですよ。 ウチとは親戚で、こちらの家が本家筋なんですがねぇ。 ある日誰かお客に男の人が来ていたのですが、夜になって酒を飲んでいてお客と男と殴る蹴るの大喧嘩が始まって、とうとう最後は救急車が来て二人を連れて行ったんですが・・・その時二人とも背中に彫物を入れているの見たんですよ・・・と聴きもしないのにひとしきり昔の話をしゃべった後奥さんは帰っていった。


 そうだったのか・・・一見おとなしそうなあの爺さんは昔はその筋の男だったのか・・・まったく気が付かなかった。
 そう言えば、アパートを捜して連れて行ったりしての世話をしていても、すいませんなぁ、とか、世話を掛けますねぇ、とか、ありがとう、など一度も言ったことがなかったし、その気もまったくないようなので、おかしな人だなぁ・・・思ったものだったが・・・
 

 オフは自分の祖父がその昔、博打の貸元をやっていたせいかどうか分からないが、ヤクザさんをとくに毛嫌いしたりすることはなかったし、比較的悪いイメージなどは持っていない方だった。 前の仕事が遊技場の経営者サイドという仕事だったので、その手の人とはお客としてとか、従業員としての付き合いは普通の人よりままあったほうだ。 その中には少し苦い思い出もないことはない。
 一時パチンコ店はフィーバーブームやスロットマシーンの導入でやたら儲かった時期があった。 そうなるとその手の連中が狙いを付けて来る。 その手の人たちは今何の商売が儲かっているかよく調べていて、まあ、それが仕事なのだが(笑) 酒や女、ギャンブルがらみの巧妙な仕掛けに嵌めて、お金をゆすっていく。 オフもよく知っているある経営者は、スナックに勤めるその手の女との間に子供までつくってしまい・・・強請られて半端な額では収まらなかったものだ。
 オフも、お前ところの従業員が飲み屋でしでかしたトラブルを収めよ、と不当な額の金を要求され、拒否すると、翌日連中に取り巻かれ近くの線路の横に連れて行かれて、一人がそれとなく腰に差したドスを見せたりして脅された。 おかしなもので相手がドスをそれとなく見せた時から、こいつらは本気で差す度胸はないなぁ、と思い落ち着いてしまい、差せるなら差してみろ、と逆に根性が据わったものである。


 また、従業員として使った男の中に、背中から二の腕にかけて彫り物をしていたのがいた。 昔はやんちゃをしたが、真面目にやりますので使ってください、と言って入ってきたのがいた。 その言葉どおり真面目だったとはいえないが、半年間は比較的まあまあ大きなトラブルもなく働いていたし、オフも飲みに連れて行ったりして他の従業員以上に影に日向に目をかけていた。
 ところが丁度働き始めて半年過ぎた頃、お客とつるんで不正なことを大っぴらにやり始めた。 店には大勢の目があるのでそんな話はすぐ伝わって来るので、即刻クビにした。 ところがその後労働基準監督署から電話があり、これこれの者を突然解雇したのは基準法違反で、その者に一か月分の給料を余分に支払いなさい、と言ってきた。 あの男はお客とグルで不正をして店も大きな損害を受けているのだ、と言うが、それは別の問題で、被害があったのなら被害届けを警察に出して告発しなさい、との返事だ。 泥棒に追い銭、とはこのことなのだが最初から仕組んでいたと分かっているだけに煮えくり返る思いでその男に金を払った。 その金を払った翌日、なんと夜中に正面玄関のドアが何者かに割られていたということがあった。


 今日の仕事

 姫路でサイドボードなどの家具、茶碗などの陶磁器、畳などを美化センターへ廃棄のため持ち込む。