様式美

 部屋が大方片付いたので和室の内の座敷の畳をまくって、その下の荒板もまくり縁の下の柱の状況を見てみる。 傾きが一番ひどい西北の床の間側の柱の下部を見てみた。 大きな基礎石が置いてあり目で見たり、金槌で叩いてみた限りでは虫食いはあまりない。 それでも柱が傾いているというのはここらが基礎石と共に下部へ沈み込んだのだろうか? よく分からないまま、職業別電話帳に載っていた曳き屋に電話を入れる。 姫路には曳き屋として載っているのは一軒だけであるが、小野市の曳き屋も一軒載っていた。  両方の業者に見積もりを取りたいので見に来てくれと電話を掛ける。 姫路の業者は一時間ほどで来たが、まだ30代の若い職人だった。 一応全部見てから困った顔をして、こちらがこことここをこうしてくれという方針を立ててからでないと見積もりが出来ない、と言うのである。 おそらくこれまでやってきた仕事が、主に大工さんからこうしてくれとの依頼を受けての仕事だけをして来ているのだろう。 明日小野市の業者が来るが、こちらは年配者のようであったから、こちらに期待しよう。 曳き屋などという職業も今では消えつつある職業であって、最近は家を手っ取り早く壊してしまう解体屋が流行る時代になってしまっている。


 
 日本の文化は様式美を基本としているといわれる。 茶の湯や生け花などから歌舞伎、能、武道などに至るまでその様式を受け継ぐことがその文化の真髄を守ることだとされている。 だからそこには受け継がれてきて守るべく、あるいは習うべき決まった型がある。 その型を最初徹底的に教え込まれることから始まり、その型を綺麗に、あるいは美しく表現出来るようになって一人前で、そこを習熟して初めて自分なりの創意工夫を盛り込んでいくことを許される、というのが本来のあり方である。 それは建築や庭造りなどの分野でも同じことで、とくに大工仕事では座敷の床の間や書院、床脇などの造りにそれが受け継がれている。 床の間の木割りといって柱や地板、鴨居、長押などなどの厚さ、幅、そろえ方、それぞれの仕事などなどが部屋の大きさなどに合わせて様式的に細かく決められている。 それはある意味ではたいへん良いことでもあるが、本来の意味を知らないでそれを覚え守るだけでは後々問題が起きる。


 若い曳き屋が帰った後、家の内外を何気なく見ていて気がついたことがあった。 床の間の横はいわゆる書院になっているが、そこに柱が立っていない。  これは欠陥というより書院作りのいわば定番で、本格的な書院作りではこのような造りをやるのだが、この家はやや略式で地板がない平書院であるので、あえてそんなことにこだわらなくて良さそうなものである。 オフが手掛けたこれまでの三軒の家は皆な平書院でこの位置に柱があった。
 床の間というのはたいてい銘木を使った床柱があって、床の上部は落とし掛けが横に掛けられているが、その落とし掛けの片側を受ける位置のことであるが、本来ならここに柱があるべきなのである。 そのような造りにしないのはおそらく書院を軽くして粋に見せることを意図してのことだろうが、そこの位置というのは本来両側の下屋のカナメの隅木の位置にあって、建物の角で家の一隅の重みを受けるべく重要な位置なのである。 その大事な位置に柱がないというのは本来とんでもないことだと思うのだが・・・ ましてこの家は日本建築本来の平屋作りの家ではなくて、その上に重い二階が乗っかっている建物なのである。
 長年の間に北西側の柱が傾いたり皆おかしなことになったのはなるべくしてなったとも考えられる。 逆に言えば、ここの位置をジャッキアップして柱を立てれば、意外と後の柱の補正は楽だとも思えるのだが・・・明日、老曳き屋のこの考えを話してみてみるつもりだが・・・なんと答えるかだ・・・



 今日の仕事


 仕事らしい仕事をしなかったが、座敷の間の畳をまくり、板をはがして縁の下を点検する。