公平さ=安心感

 今週初めに近畿地方入梅したというニュースがあった。 今日も雨こそ降らなかったが、ドンヨリした曇り空で時々日が差すと蒸し暑さが増す。
 今日も姫路へ行ったが、姫路は瀬戸内海に面した海よりの街で、風が吹くとかすかだが潮の香りがする。
 オフも綾部に始まって、八千代、加西、姫路へと北の日本海の近くから、とうとう南の海辺の姫路まで下りて来たわけである。


 今日も姫路に行って箪笥類を軽トラに積んで処分に行く。 二度ばかり行ったが軽トラの荷台ではさほど積み込めない。 この家には高度成長期に大量生産された合板の建材で作られた安手の箪笥や食器棚類がやたら多いのだ。
 昨日姫路の焼却処分料金が高いと書いた。 単位料金はキロ10円でとくに高いわけではないだろうが、料金の単位が100キロ刻みなのである。 
 100キロまでは1000円で、それを越えると今度は200キロまでは2000円なのだ。 つまり101キロも200キロも処分料金は同じ2000円なのである。 それだったら計って持っていけばよさそうなものだが、こちらは処分したいものを適当に積み込んで一杯になれば運ぶので、キロ数などは向こうへ行って計量器に乗って初めて分かる。 なるべく不公平感をなくするために単位を細かくして欲しいものである。 これを10キロ単位にすれば110キロで1100円、190キロで1900円となり合計で3000円処分料を取ることになる。 これを100キロ単位にすれば合計4000円の処分料を取れることになる。 それだけとらねば維持管理が難しいというのなら、もう少し単価を上げればよいのだ。 今ではゴミの処分にお金がかかるのは誰でも知っていることで、それを不公平感なく支払うのにことさら腹を立てる人は少ないと思う。 この料金システムを考えた人はこれで単価を安く見せて、しっかり取れると考えたかもしれないが、行政がスムーズに仕事を出来るためには住民の安心感、信頼感があることが基本である。 住民サイドに立って、単位はもう少し細かく刻んで、見てくれよりも実質的な公平さを大切にして欲しいものだと思うよ。 


 姫路の家の中をポツポツ見ているが、この家の東側はまだまだしっかりしていて、壁や柱に覆ってあるベニヤを剥がしてみても、壁と柱の隙間も少なくさほど狂いがないような気がする。 問題は西側、とくに南西側である。 南西側の角に二階の屋根まである大きなイブキと木犀の木が生えていて、それが日の光をさえぎり湿気を呼んで、その湿気がシロアリを呼んで柱などが沈んだり傾いたりしているのだのだろうと思う。 オフの技量で直せるものかどうか床下を点検するまでまだなんとも言えない。 それでも金を掛ければ何とかなると思うが、採算を度外視するわけには行かない。 
 手掛けるにしても100年経ている古い家だけに、最初に予定していたように一年は掛かりそうだ。 そうなるとそれにあわせて材料費もかなり高く付くだろう。 健康の問題があるので、これがオフの最後の仕事になりそうだが・・・それを思うにつけても、やりたいなぁ・・・と言う気持ちが強くなる。
 そう思いながらも・・・無理だと断念する場合のことを考えて、昨日公開された姫路裁判所の競売物件の情報をPCでチェックしていた。 ほどほどの物件は四軒ほどあったのだが、今の家より魅力的な家はない。 これまでの経過から見ればこれはやりたいなぁと思える家は一年に一軒出る程度なのである。
  

 今日の仕事


 倉庫にあるものはそのままでも、家の中にあるものだけでも移動してきれいにしよう。 これから見学者も来るだろうし・・・と二階に置いたあった衣類なども箱に詰めて余った照明器具などと一緒に姫路に運ぶ。 姫路では箪笥類など処分に持っていく。