経年変化

 夜明け頃鳥の鳴き声を訊いて、ああ雨は上がったんだなぁ、と思ったが再び夢の世界へ・・・。
 今日も拭き掃除、残すところ後一日か二日の掃除でだいたいこの家の掃除もカタが付くところまできた。 一気に終わらせたいところだが、明後日受診があるので掃除はいったん中断して今日は神戸へ行く。  神戸から帰り掃除を済ませて最後の廃棄物を処分するとその後は引越しになる。 
 姫路の家は車を駐車する場所がないので、先に行ってブロック塀を壊して庭に車が入れるようにしてこなければならない。 そんなこんなで来月初め頃から引越しになる。 ということはこの家も来月に入ってから売り出しになるということだ。
 不動産屋は最近は不景気感なので不動産の動きが悪くなって来ている・・・とかなり弱気である。 オフは家というものが分かっているお客さんさえ見に来れば、売れるだろうと踏んでいるのだが・・・

 八千代の家がすぐに売れたのには・・・買い手がそれまでハウスメーカーの家を借りて住んでいて、それも建ててから20年ほど経過した家に数年住んでいたからだったのが大きいとオフは思っている。 ナショナル住宅と一応名が通ったメーカーの家だったらしいのだが、しょせん工業製品でしかない。 テレビなどでは上手に宣伝しているが、工業製品というのは新しい時がいちばん綺麗で年を振るごとに劣化して来る。 たとえば建材のフローリングなどはたしかに施工した時は一分の隙間もなく綺麗だが、表面に貼り付けた薄い材が傷むと下から合板が出てくる。 水に濡れたまましていると数年で駄目になるし、そうでなくても合板の接着剤の耐用年数がせいぜい30年ほどで、それが剥がれ始めると全体にブカブカしてくる。 その点無垢の板を使った床だと新しいうちは気候の変化などで膨らんだり縮んだり隙間が出来たり反ったりムクッタリするが、20年経った頃から材そのもののに艶が出てきて、いわゆる味わいが出てくる。 だが、経年変化のよさを今は評価しようとしない時代である。 たとえば和紙は、年をふると白い色から赤茶けて来るのだが、それを汚くなったとしか見れないのが今の時代の評価の仕方である。 和紙というものは年をふると赤茶けてきて、それはそれで美しいと見る感覚がすでに失われてしまっているわけだ。   
 オフの手掛けた加西のこの家は、昭和三十年代に建てられた家で、建ってからすでに50年近く経っている。 母屋の柱は置き石に直に立っている。 床下をつぶさに見たがシロアリは入っていないし、この辺りの地盤が固いので沈みもなく傾きもほぼない。 昭和56年ごろに一度改装しているらしいし今回オフも手掛けた。 この家はこの先まだまだ数十年はこのままで行けそうである。


 今日の仕事


 縁側、奥の寝室、玄関など掃除機を掛けて拭き掃除。 引越しで運ぶものを仕分け始める。