夫婦のイメージ

 昨日は夕方から神戸の嫁さんのところへ行った。 今回のことで嫁さんにはずいぶん心配をかけている。
 あなたのことは私が最後まで全部見るわよ、と嫁さんは言ってくれている。 彼女と籍を入れてからまだ二年半ほどしか経っていないのだが、本当に有難いことだと思っている。 オフは自分の身の回りのことはほぼ全部自分でやれるし、どちらかといえば一人暮らしは苦にならない人間である。 
 だが、今回のことがあってもさほど動揺せずに済んでいるのは、嫁さんがいる、という事実が背後からしっかりと支えてくれているからだと自分で分かっている。 多分その事実がなかったら、夜中に目が醒めた時など心が孤独感と淋しさに押し潰されそうになっていただろうと思う。 たしかに子供たちはいるが、彼らも今は生きるのに精一杯なのである。 そんな中自分で自分の身の回りのことが出来なくなった時に、彼らの世話になるのは忍びないものがある。 最後の最後一身を任せて、お世話になります、と心から言えるのは・・・どうあれ嫁さんしかいない。
 

 昔、まだ若い頃理想の夫婦について考えたことがあった。 夫婦関係というのはイメージで言えば、荒野に立つ二本の木のような間柄がベストだなぁと思ったことがある。 オフの性格上、お互いにもたれ掛かるような関係はどうしても好きになれない。 夫婦というものをそれぞれ自立した男と自立した女がまずあって、その二人がお互いをパートナーとして認め合って生きていく関係が理想だと思った。  嵐の夜、激しい雨風に打たれながら耐える二本の木。 激しい嵐が襲ってきて、じけそうになってもすぐ側に嵐に耐えて立っている相手を見て、自分もさらに嵐に耐える気持ちを奮い立たせるような関係をイメージしていた。 だが、今は少し違ってきているようだ。 もたれ合いまではいかないが、昔のイメージともたれ合いの中間ぐらいの関係である。 そう思うようになったのはオフが少し年を食ったせいかもしれない。 
 いずれにせよ、貧しき時も、富める時も、健やかなる時も、病める時も、二人は共に手をたずさえて歩むことを誓うか・・・ということの意味は深いなぁ、とあらためて思うようになった。


 今日の仕事


 昨日軽トラに積んでおいた引き戸や障子、ガラス類をクリーンセンターへ廃棄に行く。 クリーンセンターの帰り前に八千代の家を売った不動産屋に立ち寄り来週辺りから売り出しをお願いする。 畳屋に来てもらい6畳×3+4・5畳分の畳を表替えを頼む。 畳屋はさっそく全部の畳を運び出していった。 トイレ内に棚を取り付ける。 トイレの入口のアルミサッシの戸の動きが良くない上かなり汚れている。 枠はモルタルで固めてあるので前のものを再使用するが、サッシの引き戸を新しくすることに決めて建具屋を呼ぶ。