昨日は三月並みの気温だったと言うが今日は雨も降っていて寒くなってきた。 今年の冬は前半は暖かくて後半は寒いようだ。 家の内部でやる仕事はほとんどなくなってしまったので、そろそろ外壁を壊しての仕事を始めようと思う。 昨日のような日々が続くようになれば外仕事を始めてもはかどると思うのだが、当分はこのまま寒い日が続くらしい。 まさに早春賦の ♪春は名のみの風の寒さよ〜 の日々が続く。
 現在の風呂の脱衣場兼洗面所の床のタイルとか壁のモルタルになっているが、それを壊してそこにトイレを作る予定である。 タイルを壊したりする大変な仕事は配管屋に来てもらって若い衆に来てやってもらうつもりだ。 昔はトイレの床はタイルというのが相場だったが、洋式晩所が普及してきてからは、わざわざスリッパを履き替えるようなタイル張りのトイレは姿を消しつつある。


 嫁さんの兄はいわゆる団塊の世代でオフと同年齢であるが、昨年が還暦で誕生日で停年になった。 だが一年だけの契約で会社に残れることになった。 給料は半分になってしまった、と友人に嘆いていたら、友人から、俺なんかは三分の一だよ、と言われて、まだ俺はマシかぁ、と思い直したという。 その彼がさらにもう一年嘱託として居残れることになったらしい。 一年契約しかしない会社も世知辛いと思うが、今ではそれが世間の常識みたいになっているらしい。 会社で生きてきた人間は、会社に見放されると生きる方途がないとも言えるような嫌な時代だが、かといって自力で生きていくのはもっと難しい時代でもある。 昔会社で生きる人々のことを一つの歯車になると表現したものだが、今は自力で生きているようでも、その本人がいなくてもその代わりになる人間は腐るほど居るという時代だ。 会社は生活のためのサラリーを貰ってくるところで、会社を離れての時間を好きな趣味で過ごすのがベターな時代だろう。


 オフも今は大工仕事をしているが、もし若い時代に戻れたら大工の道を選ぶかといえばそれは決してナイと思う。 いくら好きといえる仕事内容であっても、それが職業となればやりたくないような仕事でも、稼ぐためには、食うためには引き受けざるを得ないことがあり、ほとんどそんな仕事が多くなるのが実情だろうと思うからだ。
 そんなことを思えば、オフはこれだけはやりたくないと思っていた家の商売を継いだのだが、その時商売は借金まみれでいつ潰れてもおかしくない状況だった。 そんな仕事を一生懸命頑張ったから商売がよくなったのではなく、たまたま数年後ブームが来たから浮上出来ただけのことだった。 
 一時はそれを自分の力や努力の賜物だと自惚れていたこともあったが、ある日、たまたま運がよかっただけだったなぁ、とフト気がついた。
 好きでもなかったこの仕事からそろそろ身を引く頃だなぁ、とすぐその後に思った訳だ。 会社を売って借金なしをして、幾ばくかの金が手元に残って、ソロソロと好きなことをしている今日である。 途中で迷いもいろいろあったが、俺はたまたま運がよかっただけだった、と今でも思っている。


  今日の仕事


 仕事らしい仕事をしてないが、神戸からの帰り三木市のホームセンターの資材館で杉材を数種類買う。
 片引き戸を入れる三箇所の一筋鴨居に二度目の塗装をする。 鴨居の上の下がり壁の下地仕事をする。