ベニヤを剥がす

 田舎の母親から電話があり、どうやら入院したらしい。 今月初めに行った時は、最近血圧が高いのだと言っていたのだが、入院した原因は腸の調子が悪いかららしい。 調子が悪いので病院で点滴をしてもらったが、その日は良かったらしいが次の日の夜また調子が悪くなり、用心のためしばらく入院ということになったと言うことらしい。 電話での声は元気そうだったが・・・どちらかと言えば病院が好きな人なのであるが・・・年が年なだけに(87歳)何時何が起きても不思議ではない。 来週あたりに一度帰ってみるとするか。
 

 和室の仕事はいったんお休みして、今日から仕事をリビングの方へ移した。 玄関を入って右手に六畳の応接間があるが、その奥隣の土間というか、勝手口というかそこをリビングに作りかえる仕事を始めた。 まず、ぐるりの壁を覆っている建材のベニヤを順次はがしていき、さらにその下地の胴ブチを全部取り外す。 昭和の、というか戦後の大工仕事というのは、古い土壁の上に工場で作られた建材もの、この場合は化粧ベニヤを張って行くのが主たる仕事だったのだ。
 ピカピカしていてスベスベしている均一な素材である新建材を使い、古い土壁や柱を覆い隠すことが大工の主たる仕事だったのだ。 工業製品で家の内外を覆い尽くすことがすなわち近代化であリ、戦後の家造りなのであった。 しかし、当時はまだ誰も新建材とはまさに施工した時が一番綺麗であり、日々を経るとだんだん化粧した表面が汚れたり、剥がれたりして無残な姿をさらすようになるものであると知らなかった。 
 その後二、三十年の年月を経て、当時の新建材の花形だった化粧ベニヤはその正体を知られ、だんだんと流行らなくなった。 それに代わってプラスターボードを下地にして表面をクロス貼りするやり方ががコストも安く主流になっていった。 しかしクロス貼りというのは、一般的にあくまで何かに似せて作られているイミティション壁であり、その接着に使われていた接着剤がシックハウス症候群を引き起こしていたと一時騒がれた。


 今、オフは昭和期に張られた建材をはがして、下に隠されてあった土壁や柱を表に出すという仕事をしている。 だがそのオフも、若い頃は日本家屋を古臭い!汚い!合理的でない、と毛嫌いしていた一人だったのであるが・・・
 柱の通りが一定でない箇所は、胴ブチを真直ぐに渡すために、柱に切り込みがされているのが今となっては無残であるが、その柱は壁が、やっとまた日の当たるところへ出て来れたなぁ、とつぶやいているようにも聴こえる。
 今回ベニヤ壁をはがしてみて、あるだろうと思っていた箇所に柱一本なかった・・・これは良かったことである。 だが土壁を一箇所落とさねばならないところが出て来た、これは良くないことであり、まあ、差し引きゼロというところだ。


 壁をはがした後、天井をまくり下地の釣り天井を落とす。 ところが洋式天井の上にもう一つ昔の棹縁の天井が出て来た。 関西では野地板の上に粘土を乗せる、ということは瓦の下に粘土泥を敷いてあるのが一般的で、それが天井を落とす時に落ちて来て汚いことはなはだしい。 それに一箇所だが土壁の落し、明日はそれらの汚い仕事をすることになる。


 今日の仕事


 リビングになる部屋半分の建材の壁をはがし、天井を落とす。