小春日和

 三日前の夜、ついに加西市の最低気温がこの秋初めて氷点下を記録していた。 ところが今日、日中はぽかぽか陽気で陽だまりでは上着を脱ぎたくなるような小春日和である。 隣の家から丸ノコを挽く音がするので、覗いてみると4寸(12センチ)の刃の丸ノコを使って大きな材を切っている。 
 あれれ、お宅は大工さんだったのですか?と訊くと、そうだよ、といって笑っている。
 訊くと、頼まれてこれから稲荷さんの鳥居を作るのだ、と言う。 なんだ、なんだ、それにしてもこんな近くに・・・いざ困ったことになれば、味方が出来たようですこし心強い。


 ここ二、三日床張りをしていたが屈みこんでの仕事のせいか、夕方頃になると頭が痛くなっていた。
 前はこの仕事の場合腰も痛くなっていたが、今回は腰はさほどのこともなかった。 もっとも今回は床を張る面積が少なかったこともあるだろうが。 
 オフは血圧が高く頭が痛くなるのはあまり良い傾向ではない。 うつむきに屈みこんで仕事を続けると頭が痛くなるのは、むち打ち症の時の症状のようなもので,、頭への血の巡りが悪くなることから起きるのだろう。


 先週神戸へ行った時、「萌えの朱雀」川瀬直美の作品をテレビでみた。 この作品は以前ビデオ屋で借りて来て見たのだった。 かなりの部分を忘れていたのだがさすがに大筋のストーリィは覚えていたので、最初見た時のように深い余韻を残さなかったが、良いものは良いなぁ・・・とあらためて思った。 彼女の作品はオフにとってはこれが最高で、作を重ねるたびに評価は下がってしまうのが残念である。
 
 夫が居なくなった家を離れて、実家へ娘を連れて帰るという決意をしたところが以前はあいまいな印象のまま残っていた。 だが今回見て、いろいろな葛藤が彼女の心の内に去来していた、それらの葛藤の取捨があった上での決意だったことが分かった。 人の決意とか選択というのは、いつも確固とした考えで選ばれているわけではない。 あいまいな心の状態のままとか、人に言われてとか、またそれへの反発とか、いろいろなケースで選び取られていくわけだが、生きることがそんな些細な選択と同時に新たな展開を見せるものである。 それは必然でもなく、偶然でもなく、その両者のちょうど中間のような曖昧模糊とした部分でおこなわれている。

 
 嫁さんから姫路の裁判所の落札物件の書類が届いたと連絡がある。 今日これから神戸へ行き、明日それらの手続きのため姫路に行くことにした。  
 

 今日の仕事


 これまでした仕事の箇所の内塗り壁をする箇所に、プラスターボードを張る。 後押し入れの壁を張って中段を作れば一応奥の和室の仕事をいったん終わりにして、リビングの仕事へ移ろうと思っている。