ピーヒャラ・ツクツク・テンテン・テン・・・

 夜明け方、遠くで笛と太鼓のお囃子の音が聴こえてきたのを寝床の中で訊いた。 そういえば昨年の同じ頃八千代へ初めて来た頃にも夜明けのお囃子を訊いたなぁと思い出す。 7時すぎ頃、いよいよリヤカーのようなものに小さな神殿を乗せたのを曳いた6,7人の人たちがやってきた。 羽織紋付を着た人たちがそれぞれ笛、太鼓、鉦でお囃子をして、獅子頭を持った人二人が隣の家の前で獅子舞を舞っていった。 御祝儀を出した家に門付けして獅子舞をして、来年のお札を配って歩いているらしい。 昔は田舎の人々は今と違って普段は歌舞音曲とは縁のない暮らしをしていただろうから、こんれらの一行が来るのを楽しみにしていて、一時華やいだ気分になっていたのだろうと思う。


 この10月はほとんど毎日神戸の嫁さんのマンションで過ごした。  嫁さんとは知り合って四年、籍を入れてから二年の月日が流れたが、考えてみると嫁さんと一ヶ月続けて一緒に暮らしたのは今回が初めてである。 最初の頃、まだオフが今の仕事を始める前、ブラブラしていた頃でも、神戸に行ってそこで滞在するのはせいぜい半月ぐらいであった。 今回は一ヶ月ずっと過ごしたが、彼女はマンションの下の階に住む両親や兄の日常的な世話があるので、一日の内のだいたい半分ぐらいの時間は下の階で過ごしている。 最近は母親がオムツをしているが、それがもつ時間がせいぜい6時間ぐらいが限度なので、夜中にも一度起きて下へ交換に行く。 何だそれくらいと思うが、毎日毎日のことなので介護とはたいへんな仕事である。 オフは彼女が下の階へ行っている間は、たいていソファーに寝ころがって本を読んでいた。 嫁さんのところにいながら、少し居候気分で、三杯目はそっと出し、というほどの気分でもなかったが、少なくとも食事の後片付けの皿洗いはどは嫁さんにはやらせなかった。 その内に、夫婦の二人分のお昼や夕食の用意をするようになっていた。 まあ、料理はオフの得意分野なので、それに関しては少しも苦にならないのであるが。
 オフは昔から、朝飯は和食派で、ご飯に味噌汁のお付け、干物の焼いたもの、冷や奴、納豆の定番食事である。 それの準備のため嫁さんはオフより少し早めに起きて用意するのだが、これまでは見ていてもモチャモチャと手順が悪かったのだが、最近はご飯が暖まる、味噌汁が出来る、干物が焼きあがる、納豆もかき混ぜてある、がほぼ同時に出来るようになって感心している。


 下の階では母親は半ボケ状態だし、父親は心臓にはペースメーカーが入っているし、5年ほど前の脳梗塞の後遺症でオシッコの袋を腰にぶら下げて暮らしていてそれはよいのだが、ほぼ神経症と言ってよいくらい自分の身体の調子、たとえばオシッコの量やウンチの回数などなどに異常にこだわっている。
 嫁さんは相性から言えば、どちらかと言えば昔から父親とは悪かったみたいだが、母親は子供の頃からチョイト尊敬するような関係だったので、手間が掛かるが、母親の世話をする事は彼女にとって少しも苦にならないみたいだ。
 先日もオフが用があってチョイト下の階に行った時だったが、母親は自分のベットに一人で丸くなって横になって、自分で勝手に作り上げた他人には訳が分からないようなメチャクチャな物語を一人しゃべり続けていた。 でもこの母親はまだ良いほうである。 金銭にからむような悪い妄想にとらわれて、まわりの人を辟易させる意地の悪いお婆さんではないからである。 時々半分正気になって、私はすっかりモウロクしてしまって、このクソ婆早く死ねばよいのに・・・などと言い出したりしている。
 

 今日の仕事


 本宅と倉庫の間の1・5メートルほどの空間に、木材や資材を置く雨の掛からない場所を確保するため、単管を組んで垂木を配し、ポリカネートの屋根を葺く仕事を始める。 前の現場から持ち込んだ足場用の単管を利用して1・5×8メートルの細長い小屋を組む。 一人で単管を組んでいく仕事をやるのはあまり効率よくないが、何とか組み終え、垂木を乗せるところまでやった。 後は夕方買って来たポリカネートの波板を載せて釘止めすれば出来上がりだ。 両側に壁面があるので全面的に屋根を葺くことは出来ず、片側だけ釘打ちのため身体が入るだけの隙間を開けておかざるを得ない。 ちょうど軒下になる箇所に灯油ボイラーがある関係で、雨樋なども取り付けて完璧なものに仕上げるつもりだ。