ネットカフェ難民

 昨日太平洋高気圧に南へ下がれと怒ったせいか、今日の最高気温は28度とかなり涼しくなった。 週間天気予報でも連日出ていたお日様マークが消えて、雨傘マークが並んでいた。  


 神戸では競売物件の入札をするつもりでいたが、どうやら入札日を間違えていたようで次回の分は来月の入札であった。 それに続く10月入札分にかなり魅力的な農家物件が出ている。 現在は瓦屋根の建物だが、造りから言えばおそらく萱葺き屋根の家で、資料では明治の終わりぐらいまで遡る建物で当時の家としてはまあまあの規模の大きさがある。 だが、土地が600坪もあり、その分売却基準値が高い。 九月入札の物件と競売の順序が逆であればベターなのだが・・・迷うところである。  そこで午前中今回仲介した不動産屋を訪ねて、横の宅地半分ほどを近所に欲しい人がいないかさぐりを入れあたってもらうよう頼んでおいた。 不動産屋ではこの物件の現物を見て、これには都会の業者が入札に加わりそうですねぇ、と感想をもらしていた。


 今日のニュースの中にネットカフェの難民が推定で5400人ほどいる事が厚生労働省の調査で明かになった、とある。


 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3644422.html


 この数字を多いと見るか、少ないと見るか・・・いずれにしろ都会を中心にして路上生活者一歩手前の人々が新たな形で増えているということだろうと思う。 先ごろ渋谷の近くの3,4億クラスのマンションが売り出しと同時に完売したと言うニュースがあった。 首都圏の一極集中型の好景気とそれと重なるような場所で、その対極的な貧しい人々が増えていると見てよいだろうと思う。 勝ち組と負け組みの二極分解が首都圏と地方いう水平な地域格差として広がっている一方で、その首都圏で垂直的に貧富の格差が広がっている。 これまでの日本の東京は世界のほとんどの大都会で見られるようなスラム街が極端に少なくて、平均して綺麗で、しかも安全な都市といわれていた。
 その当時は、そしてそこに住む日本人の意識調査でも、一億総中流と言われて8〜9割の人が自分はまあまあ中流のクラスに入るだろうと自分達なりに思っていた。


 そして今、日本でもジワリト格差が広がっている実感を人々は持ち始めているのだろうと思う。 次に来るものは人々の心の荒廃であり、世情の不安定感であることは容易に推察できる。 そうなればそのような荒廃からガードが必要だと思う人が増えてくるだろう。 いずれ貧富の差の大きな国のようにセキュリティの必要が言われ、ガードマンと言えば聞こえは良いが、これまで日本ではほとんど見かけなかったボディガードという職業も電話帳の職業欄に掲載されこともあるだろうと思う。 いずれにしろ過度の競争を標榜し、一方ではテロを恐れるアメリカが良い例だが、セキュリティは国家単位でこそ最も必要になって、自分達を守ってくれる強い軍隊が背後に控えることが必須になってくる訳である。
 貧しい世界の中で、競争に勝ち、自分達が豊かになれば豊かになるほど強い軍隊が必要になリ、そこへ大きな国家予算を振り向けなければならないようになる。
 それらの流れのでてくる根っこは、一方には貧しい人がいる現実の中で豊かな自分がいることへの不安なのだ、ということを知るだけでなく、考えてみることこそが大切だろうと思う。