静かに聴こえる声

 家が売れてホッとしたところで、神戸に行って嫁さんと二人でささやかな祝杯を挙げよう、と思う。

 
 オフが時々読んでいる<ある女子大教授のつぶやき> http://iiaoki.jugem.jp/?cid=1 の数日前ブログに以下の文があった。

 62回目の8月15日

 当然のことながら年々、第二次世界大戦と何らかの形で関わった人々が少なくなっていく。管理人は幼少のころ中国東北地方で生まれて何年か過ごしているので、少数派に属している。上空を豆粒のごとくに飛行しているB29の機影、死体を大八車に無雑作に乗せて運搬していたこと、瀋陽奉天)の家にやって来たソ連兵のこと、トラックからばら撒かれる黒パンのこと、日本への引き揚げ船の出る大連まで貨車に乗って行ったこと、船中で出された食事のまずかったこと、九州の佐世保港で初めて接した日本の山々の美しかったことなどをいまだに記憶の片隅に残っている。

 奉天よりもさらに北には何十万人という開拓などで渡らされた日本人が荒涼とした大地に取り残されて、北からはソ連軍に追いまくられ、現地住民からは投石され、その4割の人々が消えてしまったという。これは参謀本部も含めて日本軍が敗戦と同時にその家族も含めて、彼らだけで日本へ逃亡したからだ。だから、現在の平和と繁栄が日本のために戦った日本軍のおかげであるという自民党の政治家の発言が空虚に聞こえるのである。



 さらに昨日の秋田県の新聞のニュースを見ると <語られなかった悲劇 満州開拓団雄勝郷 集団自決の残像 > というのがあった。

 http://www.sakigake.jp/p/special/07/syudanjiketsu/syudanjiketsu_01.jsp


 このニュースの記録では、秋田県出身の約6割の開拓団の人々が集団自決している。 そのほとんどが女子や老人、子供である。
 軍に関係した男たちは、情報を知り逃げたお陰で生還しているということが書かれている。


 少し前に、沖縄戦で、軍は住民に集団自決の命令を出さなかった。 彼らは自分の意思で集団自決したのであって、日本軍はそれに一切関わりを持たなかった・・・と言う見解で、教科書の書き換え文部科学省が命じ、それに対して沖縄県議会が怒りの異議を申し立てて物議をかもしていこととがあったと思う。


 国を愛する心、は美しいものである・・・あるいは、国家に対して敬意を持つことは、人間としてごく自然で、当然の心構えである・・・という人々がいる。

 その対極に過去の悲劇が何によって引き起こされ、その最大の犠牲者は誰であったか、ということをかろうじて知っている人々の少数だがいる。  
 所詮、国家や軍というものはそれ自体のためにあるものでしかなく、いざとなれば平気で人々を見捨てるものでしかない・・・それを知っている人たちは一様に声高にしゃべらない。


 ≪死者に哀悼の意を表すということは、どんな場合にももっともひっそりと行われるべきことだ。それは、その死にどのような名分や大義があろうと、あるいはそのようなものがないたんなる偶然の死であろうと、いっさい関係のないことだ。どのような死者にも固有の名前と固有の顔があるのであり、死者を悼むということは、そのような名前と顔を知っている人によってこそ、行われるべき行為だ。死者を知らぬ者、死者について語る言葉を持たぬ者、死者のために涙を流すことのできない者は、ただそのような哀悼を黙って見守っていればよい。それ以上のことなど、すべきではない≫
  

 <遠方からの手紙>というブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200708170000/ の中で、かつ7416さんが≪死者をして死者を葬らしめよ≫というタイトルで以上のように書いている。