安部総理について

 参議院選挙もすでに何日か過ぎた。 今回は与党側が劣勢との報道がチラホラなされている。 当初から年金問題、政治と金の問題が言われているが、ところがここへ来て、地方の地盤沈下、と言うか、ズバリ<地方の不景気>が最大の問題として指摘されクローズアップされてきている。

 田舎へ帰った時、≪成長を実感に!≫という阿部総理の上を向いた顔が描かれたポスターをあちらこちらで見た。 このポスターを見て地方では、この野郎!何が成長だ!と思う人はいても、そうだ、そうだ!などと納得する人々がとうてい居るとは思えない。 むしろこんな時には、こんな人の気持ちを逆なでするような能天気なポスターなど無いほうがよほどましなような気がするのだが・・・

 時々紹介している内田樹氏がブログ上で、フランスのリベラシオン誌の安部総理氏の評を載せていて、以下のように結んでいる。


≪ 安倍晋三首相は「倫理的に低く」「知的に不誠実」な人物であるという印象を少なくともフランスの左派系知識人には与えている。
それは彼が現実に倫理的にどれほど高邁で、知的にどれほど上等な人間であるかとは別の次元の問題である。
政治家は「どう見えるか」に資源を最優先に配分しなければならない。
実際には愚鈍で貪欲であっても、他人から賢明で廉潔な士とみなされるのなら、その政治家は内政にも外交にも成功するであろう。
逆であれば成功しないだろう。≫


 また少し前になるが、カフェヒラカワの店主ことヒラカワ氏は少し前に安部総理について以下のように書いている。


 ≪かれ【安部総理のこと】の政治家としての「お里」を見てしまうのである。 高名な政治家の家系に生まれて、かれは同世代のどんな子供たちよりも「不可能との直面」という事態から隔離された境遇であったのではないかということである。勉学やキャリアのためならば、欲しいものは手に入り、経済的な労苦はなく、将来の憂いもない。かれの周囲にいただろう「教育係」は、祖父たちの行ってきた政治のダークサイドに関しては、それを「なかったこと」としてかれに伝え、かれもまたそれを「なかったこと」として受け取らなければかれは青年期を、負債なしで潜り抜けることはできなかったと想像してみる。 (そのことはかれの責任ではないし、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、そういうことはありうるかもしれないということを言っているだけである。) そういった曲折を経て、かれは己の清廉潔白を信じるような、義に篤いタイプの政治家になったという可能性は、排除できない。・・・(中略)・・・ 若き日のわが総理が、自分が正しいと信じ、こうしたいと思ったことがなぜかそのまま実現してしまうというような三代目の若旦那という境遇に対して、かれが疑念を抱いたというようなことはあまりなかったように思える。(疑念を抱いたとすれば、かれは政治家という人生を選択しなかったはずだから。青年にとっては、自分が恵まれているという、まさにそのことが最大の恥辱になったりするものだ。) しかし、かれは政治家になった。 若旦那の希望を適えるために、その意を汲んだり、慮ったりしながら、周囲が動くということが無かったとは言い難い。 かくして、かれは政界のプリンスになったのである。≫


 オフの安部総理評は以上のお二人とはまた違う見方をしている。
 期せずしてこのお二人は、安部総理に実際とはかけ離れたいるが建前として<賢明、清廉な士>や<清廉潔白、義に篤い>を一応目指しているような人物として書かれているが・・・オフにはどう見てもそのようには見えない。
 この人はよく言われているよに、お坊ちゃま、であることだけは間違いない。 安部総理の父親は阿部晋太郎と言い、祖父も政治家で三代続いた政治家一家であるし、母親の親は岸元総理である。


 だがオフがこの人の人格の内で一番取り上げたいのは別のところにある。  それを一言で言えば、この人はあらかじめ敵と味方を作って区分けして見ているなぁ、という事なのである。 この人のものの見方には最初から線引きがあって、ここからこちらは自分の味方、ここからあっちは敵方、というふうに最初から線引きがなされていて、人なり、ものなりを見ている点である。

 父親である阿部晋太郎は一時は竹下登宮沢喜一と並ベて安竹宮と呼ばれ、自民党の次期総理候補と目されていたが、リクルート事件に係わり、その後病気などを起こしでいつの間にか表舞台から忘れ去られていた政治家であった。 子としてそんな父親の苦渋を目の当たりにしていた時期の悔しさ尾を引いて、人やものごとを見て敵、味方を線引きをするような安部総理の政治家としての今のものの見方に発展したのだろうか・・・もちろんそんなことはオフの憶測でしかないが・・・。
 だが、父親はどちらかと言えば、その人の良さ、ガードの甘さから、プリンスはプリンスでもプリンスメロンと影で呼ばれていたと思うが、そのような政治家としては負の面を持った父親を目の当たりにして育ってきた子供が、あらかじめ敵、味方を線引きするような資質を持つに至ったのは決して不思議な成り行きではないだろうと思う。 だが、この資質は同時に政治家として器の小さい印象を人々に与えていることを、彼は当然のことながら気がついていないだろうと思う。 その意味では<おめでたい>のはやはり親譲りだったのだろうなぁ・・・


 安部総理の人となりについてはそれだけだが、ヒラカワ氏のその後の、結び、が鋭いので以下に引用しておく。


 もし、やるべきことが一段落したとき、「義に篤い」政治家は何を考えるだろうか。
「教育係」が教えてきた「戦後レジームの不純」といったストーリーラインを学んで、倫理の問題として、「憲法の改正」や「レジーム変換」を自らの政治的使命だと思ったとすれば、それこそ、国民全員を「かなり危険な」賭けに随伴させることになるだろうと俺は危惧するのである。
歴史の中で、腐敗した権力というものは確かに、国民を絶望的な気持ちにさせるかもしれないが、人々はおのおのの工夫で生活をつくってきた。しかし、おのれの「正義」をなすために、国民を動員する権力者は、しばしば国民の生活そのものを、「正義」と交換することを要求してきたからである。