まとまらない話

 昨日は床の塗装も終わり一息ついだので夕方急遽神戸に行くことにした。 直前に激しい雨が降っていたせいか、道路はガラガラだった。
 最近は西脇市を通らないで、南の加古川市に向かって走り途中から175号へ入る抜けるコースを覚えてそこを走っている。 途中に通る時いつも気になるおかしな家がある。 その家はとくに古い古民家でもなく、ごくごく普通の二階建ての家である。 屋根は瓦が乗せてあり、窓にはサッシもはいっているが、壁が半分以上抜け落ちている。 ということはこの家の壁は塗り壁で、下地の泥の荒壁が落ちて小舞がむき出しになったままである。 そしてすごいのは、そんな家の中に沢山の植物が生えている。 それも草とかでなくていろいろな木々が育っているのだ。 と言うことは床もおそらく抜け落ちているのだろう。  それにしても屋根はしっかりしているようなので雨漏りはしていない感じで、いったい植物はどうやって水分を取っているのか不思議だ。


 昨日『ドア・イン・ザ・フロアー』について書いたが、この映画を見に行った後、オフと嫁さんの間には一悶着があった。 と言うか嫁さんがこの映画に対するオフの感想<2005・12・1のオフの日記>をキッカケに彼女はウツ状態に入っていったという事があった。
 もちろんベースには彼女がここ二、三年前から更年期を迎えているということがあり、その少し前から少しウツっぽい状態に入っていたこともあるが・・・オフが不用意にもそんな彼女の心理状態を配慮することなく、男と女の、夫婦のこのような微妙な心の行き違いは嫁さんには分からないだろう・・・と言ったことが彼女をしてさらなるウツに落とすかのように背中を押すきっかけになってしまった。
 
 
 その時に夫婦という言葉を出したオフの頭の中にあったのは、当然ながら前の女房とのことであり、その関係を想定した上でのことであった。 
 そこはどうあがこうとも嫁さんの入る余地のない場所なのであるが・・・そのことについて昨日彼女と少し話した。


 話したのは、長年連れ添った女房だったが、子供の手が離れるのを目の前にする頃なって、それまで自分が知っているとと思っていた面と全然と違っている面を持っている・・・その頃そんな面を幾つか目にして戸惑っているということがあった。 それについて、前の女房とはじっくり話し合う機会を持ちたいと思っていた。 たしかに結婚してすぐに子供が産まれ、オフは目の前の仕事に追われるようにのめり込み、彼女は子育てに追われる、という日々が続いて二人でじっくり話し合う機会も少なかった。 知り合た頃とは自分も変わり、悪い意味で大人になっていたオフと女房は、もう一度向き合ってお互いを話し合うべき時が来ていたのかも知れなかった。 そんな時に彼女は膠原病を発病して、しばらく後にあわただしく逝ってしまった。
 だが、彼女との話し合う機会を失ったことも問題であったが、それ以上にその当時三人の子供と話し合うという機会がないと言うか、子供と話し合う雰囲気すらなくなっているという状態だった方が大問題だった。 子供とオフとの間に前の女房がいて彼女を介して細々とコミュニケーションの糸がつながっているという心細い状態なのに、そのカナメの女房が亡くなってしまったからだ。
 人が亡くなるということは、いろんな思いや機会が突然失われ、その人を介してのその他の人とのつながりも切れてしまうものである。 その後は関係の新たな修復に追われていたし、それ以上にしゃべれないまま逝ってしまった人の思い、というかメッセージを聴き取ることにずいぶん時間がかかった。 だが、さいわいなことにいつていの期間を経てある日突然自分の心の中にそのメッセージが言葉として湧き上がり、すべてが氷解したという感じを持つ機会があった。 その時、これで今までのようになんのわだかまりなくごくごく普通に生きていける、という解き放たれたような感じを持った。 だが、ことに忘れっぽいオフは、そのメッセージのことを忘れてしまっていて、それを横から嫁さんに指摘されて、思い出したという情けないことが最近あった。 
 今日はなんだか訳の分からない飛び飛びのまとまらない話になった。


 今日の仕事


 午後からの仕事となる。 雨樋の傾斜の悪い箇所を直し、ついでに樋の掃除もするが、一箇所泥が溜まり植物が育っている箇所もあった。 さらに落ちた雨水が流れる水路の掃除をしたが、水路の溝はヘドロで一杯だった。 塗装のやり残しの箇所に塗料を塗る。 柱にヌキ穴が開いているが、そこに材を切って詰めて塞ぐ。