うそ臭い

 今日のニュースに以下のようなのがあった。
 

 http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200706/sha2007061600.html


 ニュースのタイトルに宗旨替えと言う語があるが、政治家にとってもともと宗旨などあってないようなものなのは誰でも知っている。 本音の部分では今の政治家にとって宗旨などよりも<どうしたら当選するか>だけが問題なはずである。 今政権政党自民党にいる議員連中も自民党にいては当選がおぼつかない、と判断するような状況が生まれてくれば、それまで唱えていた宗旨などたちどころにゴミ箱に棄てる議員が大半だろう。
 それにこの福本議員、公明党全体主義的な政党であることを言っているが、そんなこと最初から知った上で、お前さんは公明党にいれば当選するだろうとの思惑だけで所属していたのだろう・・・なにを今更ら白々しいのだ。


 とにかく現在政治家と言われる連中にはどこかしらけさせられるし、政党というものは頭から信じれない。
 政党政治は現実から、と言うか国民の意識から完全に遊離してしまっている。
 小泉政権時代に人々が政治に少々の面白みを感じたのは、小泉首相が政党の縛りから身をひいたところで政治が行なわれている面があったからだろう  小泉元首相は自分の言いなりの武部という男を自民党の幹事長に据え、党とから身を引いて官邸主導で政治を行なっていたからである。 ということはもはや責任政党政治というものの、ウソ臭さに人々は飽き飽きしてると言うことだろう。


 憲法を改正するなら日本も大統領制を敷き、政党から政府の指導者を選ぶのではなくて、直接国民が政府の指導者を選ぶ方法がまだしもよいと思う。 そして出来るなら大統領に選ばれた人は、少なくとも政党から離脱することを義務づける方がベターだと思う。 大統領をトップとする政府と、国民から選ばれた議員の対話、対決等が国会の場で議論を巻き起こした方が、政治に人々を引きつけるはずである。 そのメリットは政府は政党や議員と癒着構造になる事柄をすべて断ち切ったところで、国民有利の観点からの政策を提起出来る訳である。 国民に直接選ばれる立場にある大統領は、国民の支持を得る政策を目指さざるを得ないからである。 現在の政治、と言うか最近の政治がらみで起きている問題のすべては、政党と政府があまりにも癒着しすぎていることで起きているからである。


 それに政党だが、まず公明党共産党だが、この民主主義時代にそんな政党があること自体が間違っている、というか狂っている。 と言うのは、民主主義と言うのは自由な市民が自分の責任の上で自分なりの考えを自分なりの頭で考えてそれを主張することで成り立っている社会である。 上部の言うことを金太郎飴のように(こんなたとえも若い人は分からない時代錯誤な言葉なんだろうなぁ)上から下まで鸚鵡のように同じ主張をしていること自体がすでに狂っているのだ。 また、自民党民主党も、一応政党の主張がいうものがあるとしても、そこに所属する議員はそれぞれ考えを持つ人々である。 実のところ当選するメリットだけ集まっているだけの議員を党議党則で縛り付けることで、政党の主張を統一すること自体がうそ臭いのである。 議員も人間だからこの点に関しては考えが同じでも、違う点に関しては考えが異なる、ということが日常茶飯であって当たり前なのである。 

 
 
 今日の仕事


 ベランダの手すりと階段の取り付けるため、コンクリートの基礎とかブロックを買って来る。 手すりの下部をブロックの穴に入るためのホゾをを作っておいて、ブロックをモルタルを練って固定する。 明日は手すりの柱をブロックに立ててベランダに金具で固定して横の手すりを付ける。
 目隠し用のカナメモチのレッドロビン種を十本買ってきておいた。