やれやれ・・・とボンヤリ・・・

 床暖房の仕事をする人が来た。 先日寸法を取りに来ていた人が仕事をするのかと思っていたが、そうではなかった。
 髪の毛がやや薄くなっている人で、若いのか、年を食っているのかこの手の人はよく分からないような年齢不肖なところがある。
 現場と配管の設計図を見比べながら、怒っているわけではなさそうだが口の中でなにかブツブツ言っている。
 なにかおかしなところでもあるのか?と訊くと、いえねぇ、配管図ではこちらから配管を引くことになっていますが、ここから引いたほうがよほど楽だと思いまして・・・と言う。 確かにそうだ!当たり前だ!誰が見ても、子供でもそうするのが楽だと分かる。 だってそこの部分は一昨日オフが床をはがして土間が出ていて、何もないのだ。 設計図通りにするなら、いろんな障害物のある狭い既存の床の下をパイプを引かねばならないからだ。
 でも職人は、設計図通りに引きますと言う。 呆れてしまう。 携帯で連絡とって説明して、そのようにすると言えば良いじゃないか、と言うが、後々面倒なんですよ、という答えだ。 すでにメーカーの方に設計図が行っていて、それに基づいて配管などの部材が寸法を見て手配されているからだと言う。 勝手に変更すると何かあった時に面倒です、と言う。 だから実際の現場ではこのようになっているのでと説明すればよいことだろう・・・と言うが。 少し面倒でも設計図通りにしておきます、と言って狭い縁の下に上を向いて身体を左右にゆすりながら少しずつ潜っていった。


 やれやれ・・・


 夜が明けるのが早くなり、朝も今までほど肌寒くない。 寝床から出る時間が少しずつ早くなってきている。
 かといって仕事を始める時間が早くなっているかと言えば、そうでもない。 相変わらず8時から9時の間だ。 その分パソコンの前に座っている時間が長くなったか、ボンヤリしているかである。 テレビのない生活をするようになってから、このボンヤリしている時間を結構持てるようになった。 
 ボンヤリしている時間は傍から見ればなにもしていなくて、いかにも非生産的でまったく無駄な時間のようだが、けっしてそうではない、と思っている。 最近は、人間にとってこのボンヤリしている時間と言うのは意外と大切だ、と思っている。 その時間をテレビを点けていると、結局見るとはなしにテレビを見てしまっている。 それは傍から見ると、この人は今テレビを見ているのだなぁ、とたしかにそう見える。 テレビを見ていると無駄なことをしていないように見えるが、他動的になんとなく時間を過ごしているわけである。 それならばボンヤリしているほうを今のオフは選びたい。
 ボンヤリしている時間内に、なんとなくこれからの自分の行く方を思ったり、これまでの過ぎし方を振り返るほんの少しの時間があったりするものである。 また、フト昨今の自分を自省的に見たりするものである。 
 現代の人々はこのボンヤリしている時間が少なくなったような気がする。 だからと言って、悪いとか良いかとかではないが、とにかく最近のオフは、このボンヤリする時間が大切だ、とみにそう思うようになったわけである。

 
 今日の仕事

 
 大引きに塗装を済ませ、根太の釘を抜いておく。 二階の倉庫や部屋の掃除をする。 二階の倉庫は梁に根太をしないで直接床を張った。 というのも入口が二階の床より75センチほど高く、上の梁との関係で入口の高さが1メートルちょっとしかない。 つまり一階の座敷の天井が高く、その上に当たるからである。 そこで少しでも低くするため根太をせず三センチの足場板を床として梁の上に直接突き付けで張ったのである。 ところがその足場板が乾いて来て縮んで隙間が出来てきている。 天井もなく上が直接屋根の野地板が見えているような部屋なのでこのままにしておく。
 二階の真ん中のリビングに床を張るのだが、一階との間は一枚の厚板だけで、前はその上に畳が敷いてあったのである。 畳の厚さが一寸八分(54ミリ)なので、五分(15ミリ)のフローリングと四分(12ミリ)荒板の下張りをしてもまだ九分(27ミリ)ある。 まずその厚さの根太を伏せるのである。 しかし嫌なことに一階の天井の厚板がそれぞれ反り返って波打っている状態なのである。 二階の他の部屋にフローリングを張ったが、ギシギシ鳴く鴬張りになっている。 根太を削ったりして少しは修正するつもりだが、おそらく二階リビングもそうなるだろうが、それでも鳴くのは致し方ない・・・ということにしておく。