日本の民家

 日本の民家の最大の弱点は基礎にあると言える。 民家の基礎は土を叩いたりして固めた上に石を置いて、その上に柱を立てている。
 それぞれが独立した基礎で不安定だから、縁の下部分でそれぞれの柱同士を足固めとか、根ガラミと呼ばれる横材、あるいはヌキでもって繫いでいる。 だが、長年のうちに基礎石が家の重みで沈むものである。 一様に全体が沈めば問題はないが重みのかかった部分がとくに沈む。 そうすると床や天井が水平が保てなくなり、部分部分いびつな傾きが起きて建具が動きにくくなつたり、建具と柱の間に隙間が出来るようになる。 いったんそうなるとその部分の柱を上げて基礎石との間にものをかませてもまた違う部分といびつが起きて収拾つかなくなる。 それを防ぐには家全体を曳き屋に上げてもらってコンクリートで布基礎をして、その上に土台を伏せてそこへ下ろして固定すれせばもう大丈夫であるが、お金と時間が掛かるし大変な仕事となる。 


 また、日本の民家が戦後どんどんその姿を消していったのは、人々の暮らし向きが変わったことにある。
 どちらかと言えば、ハレの日の冠婚葬祭を想定して作られ使われていた日本の家が嫌われたのである。 ハレよりもケの方、つまり普段の生活の場を重要視したいと人々が考えるようになった。 年に何回しか使わない座敷をやたら立派にして、普段の生活はお粗末な場で過ごすという考えが逆転して、普段皆が過ごすリビング、ダイニングが家の中心であるべきだという考えに変わっていく。 また、家族中心主義から家庭内でも個人個人中心の生活が変わった。 そうなると襖や障子という建具での仕切りをするというプライバシーのない生活の仕方は受け入れがたくなって、それぞれが個室を持つことを希望するようになっていった。


 オフも古民家をリフォームしながら、一番力を入れるのはLDK、つまりリビング、ダイニング、キッチンである。 そして田の字型の和室は出来るだけそのまま残しておくが、どうしても畳の上で座って生活はとくに戦後生まれの世代は好まない。 せいぜいお客と座卓に座ってお茶でも飲みながら向き合うか、寝ころがって庭でも眺めるか、夜布団を敷いて寝る程度の利用になってしまう。 
 そこへ絨毯を敷きソファーやテーブルを置いてリビングとすることもできるのだが、どうしても和室は畳に座っての暮らしが想定されているので、鴨居の位置が低く、視線を邪魔したりするので和室にソファーを置くにはやや無理があり、なじめないものがある。
 

 今日の仕事


 昨夜は夕食を食べた後、神戸へ行った。 日曜日の夜、都心へ向かう道路は空いていて下道を走っても一時間ほどで行けた。
 よって今日は午後からの仕事となる。 ダイニングとサニタリーの床板の下張りする。 昨日から三坪分ほど張ったことになる。 コンパネなら6枚分であるが、荒板を張る場合どうしても時間が掛かってしまう。 縁の下から立ち上がる給排水のパイプや柱が多い箇所なのでなおのことである。
 この後サニタリー部分だけフローリングを張っていこうと思っているので、柱などに二度目の塗装を済ましておく。