日本の民家

 古民家、オフは萱葺き屋根の家をそう呼んでいるが、萱の上にトタン板が被せられているものも含めて古民家と呼んでいる。 それに対して農家の家だが瓦葺きで玄関の横に縁側があって部屋が田の字型の四っ間になっているものを農家物件と呼んで区別している。 もちろん古民家も田の字型の四っ間取りで、本来なら玄関を入って奥まで土間で、その奥に釜戸があって台所になっているのである。
 
 さてこの古民家や農家物件の田の字型の四っの間だが、玄関を入って横(本来なら西側)に口の間があり、ここはちょっとした訪問客などと対応する部屋で、重要なお客などは、仕切りの帯戸といわれる板戸の奥の床の間がある座敷にまで通して対応していた。 座敷の横奥の間は一般的に夜寝る部屋であった。 また口の間の横奥は家族が集う間で、すぐ横の土間の台所が近くそこで食事をしたりしていたし、囲炉裏というのはこの部屋にあった。 この田の字型の部屋は全部障子戸や襖戸で仕切られていて、それらを全部外すと真ん中に一本柱があるが、一続きの大きな部屋となって、家で冠婚葬祭などを行なう時は建具を取り外して使った。 また仕切りの建具を開け放つと暑い夏場などは裏から表にかけて風が通り抜けた。
 徒然草兼好法師がわざわざ家造りは夏を旨としべし、と書いているが、民家は夏場に蒸し暑い日本の風土にあった造りなのである。 また本来なら座敷などが西側に持って来て、西側を壁にして夏場の西日や冬場の北西風を受けないように考えられているし、台所は日が当たらなくて涼しい北側にもってきて、なるべく食物などが腐らないような配慮もされている。 また日中は部屋に上がることがないので、トイレは外部の家の近くに別棟にあり、湿気を嫌い風呂なども外部だった。
 家のまわりの柱は栗などの雑木を使い高級な杉や桧はせいぜい座敷の柱に使う程度で、梁はほとんど松であった。


 何よりも家というのは親から子へと代々住み継ぐものであった。 

 
 今日の仕事


  トイレノの外壁の腰板部分に枠を取り付けて留める。 上部のサッシ窓部分にはめ込み式の格子を付けるかどうか迷っている。
 ダイニングの梁、桁などに一度目の塗装をする。 午後からようやく気持ちが決まって、サニタリー部分の五分(15ミリ)の下張りの床板ををはがしていく。 全部はがしたところに今度は新たに四分(12ミリ)の荒板を下張りしていった。 六時過ぎまでかかってようやく張り終えるが、床張り仕事としてはまったく進んでいないことになる訳で、まったくや