TVの功罪

 昨日の嫁さんからの電話では、夕方買い物に行ったが納豆売り場には相変わらず納豆がない状態が続いていて、ただの一個も残っていないとのことである。 どうやらTVでは健康に良いというのではなくて、納豆でダイエット出来ると紹介されたのが発端らしい。
 それにしても恐るべきはTVの影響力である。
 おそらく後世には二十世紀から二十一世紀にかけて人間はは毎日毎日飽きもせずTVなるものばかり見て過ごしていた、と呆れた記録として記されることだろう。
 時々神戸に行った時にオフもTVを見るが、以前は天気予報やニュースとはこんなものだとのんべんだらりと見ていた。 だが、最近ネットでニュースや天気予報を見る習慣が出来てからはたまにTVでニュースや天気予報を見ると今までにない違和感を感じる。
 ネットでニュースや天気予報を見るときは、当然ながらニュースなら項目が出ていてその中から興味を引くものだけを選び出してみている。 TVの場合はテレビ局が選んだニューズを否が応でも順々に時間一杯付き合わされてしまう。
 天気予報も同じで、普段は今日、明日、明後日の天気図を見てから、この地の今日明日の予報を最低気温や最高気温、降水確率などみる。 さらに天気全体を詳しく見たい時はアメダスや今なら雨雪判別図、長句予報などをドンドン調べるながら見ることをしている。 それがTVの予報の場合、知りたくもない近畿地方の各県の予報の読み上げにだらだら付き合わされたりする。
 またネットでは時間がある時などは、おそらく新聞各社の主張が異なるだろうと思われるニュースなどは、各社の同じニューズを読んでその違いを読み比べたりする。 とにかくTVの場合はテレビ局にすべて・・・情報の選択から、その主張やトーンまですべて一任してお任せで、こちらは一方的に受け取るしかないのである。
 その結果として、考え方や意見、さらには行動さえも知らず知らずの内に大多数的に、同調的になってしまう恐れが大きいのだろうと思われる。


 今日の仕事


 一階和室と階段との境の敷鴨居の間に柱を一本立てる。 ここには一間半の敷鴨居が入っていて障子戸が三枚で階段のある廊下と和室と仕切られていた箇所である。 言ってみればその内の障子戸を一枚分外して、そこを新たに壁にするという仕事である。
 ただし階段のある廊下側との隙間が少ないので、塗り壁ではなくて板壁にすることにした。 建材ものの化粧ベニヤなどは使いたくないので、天井に使った板を縦に六枚並べることにした。 上部は鴨居溝に入るようにして下部は溝切りで穴をくり、片側の柱にもサネが入る浅い溝を付ける。
 新たな柱は敷居、鴨居の溝に沿って切り込んでほぼ完璧の出来だったが、ヌキ穴を逆に掘ってしまった。 仕方なし前後を逆にして鴨居溝を合わせてなんとか誤魔化したが・・・どうも最近は仕事にポカミス的な小さな失敗が多い。
 その後これも階段の横の廊下との仕切り壁だが、それを落とす。 両面壁塗りしてある竹小舞の土壁である。 カケヤでドンドン叩き壁土を落としてから竹小舞やヌキを切り落とす。 土はバケツに詰めて外へ運び出す。