帰郷、同窓会

 田舎へ帰って来た。 ちょうど連休だったので高速道は何時もより混んでいたが流れはスムーズだった。 
 行きはその前日訊ねてきた友人の車と前後して走ったが、途中のサービスエリアでオフは仮眠したので友人は先に行った。
 田舎の家は庭も畑も果樹園も草ボウボウだったが、今回は草刈している余裕なし。

 翌日、他の友人が車で家に寄ってくれて、一緒に集合場所である母校の今度重要文化財となって建て直された巌浄郭(がんじょうかく)へ行く。 建て直された建物の内部に入り説明をを受けた後バスで同窓会の会場のクワハウスへ向かう。 150名ほどの同級生のうち35名あまりが集まった。
 だいたいが地元在住者であるが、遠隔地からも数名来ていてオフも今回はその内の一人である。 
 宴会の入ってからそれぞれが近況の報告したが、この人数だと一人一人の話が何とかぎりぎりで訊ける範囲である。 オフは、一年生の時今回重文になった巌浄郭の並びの校舎で学んだが、相当のボロ校舎で冬には隙間風であまりのも寒いので、かってに校舎の腰板をはがしてストーブで燃やした話をした。 若かったしやんちゃなことをしたものであるが、寒いのに石炭もろくに支給しない学校側に抗議もあったと思うし、自分ひとりが犠牲になれば皆が少しでも暖まれるという、若さ故のヒロイズムも多少あったと思う。 その後担任からこっぴどく叱られたのだったが、確信犯である以上そこの辺のところは口が裂けても言わなかったと思う。 もちろんそのあたりの若者特有の微妙な心理が理解できるような担任でもなかったが・・・


 同窓会は<蛍雪会>と名前をつけて、三年に一度開いているが、今回がもう7回目である。 
 毎回出欠の返信の葉書に近況を書いてもらって、それをもとに<一言集>という文集を出して、来ない人も含めて全員に発送している。
 
 今回のオフの一言は以下である。


 『 リスクを出来るだけ分散するのが賢いやりかたです・・・と銀行の人は言う。
 サイコロで5の目が出るのは数量的偶然であって、あくまで確率の問題です・・・と学者は言う。
 哲学者は、私とは必然と偶然にもてあそばれている存在といえます、と言う。  

 しかし、その時サイコロに5の目が出ることが、その人の人生を決定付けるような意味をもつこともあるのだ。

 あの時5を選ばなければ、こんな私でない別の生き方をしている私もあったのだ、とフト思い迷ったりする。
 われわれは宗教という縛り、というか見えない秩序から開放されたからなのだが・・・ 

 そんな訳で (どんな訳で?)、還暦を前にして不良中年を卒業して、嫁さんをもらった。
 女は、暮らしも所帯も今のまま、別々でいいわ、と言う。
 世の中には、夜叉のような女ばかりがいるわけではないなぁ、と思った。』
 

 その日、半分以上の者はお泊まりしたが、同窓会などというものはその後の時間が面白いのである。 なぜならそれまでの、今は何々やっていますという建前が崩れて、実はなぁ・・・という話が訊ける場になる可能性があるからである。 いろんな不定形のグループに別れて話はしていたが、その手の話はオフの前では今回は出なかったが、それが良かったのか、悪かったのか・・・まあ、三年後に、またあることである。
 
 翌日母校までバスで送って貰ったが、友人が車の鍵がないと騒ぎだす。 泊まった部屋に忘れたのだ、すぐ近くの家まで送ってもらった女性がいたのでとりあえずそこへ歩いていって、彼女の車でクワハウスまで戻り鍵を受け取りまた母校まで送って貰う。 馬鹿げたハプニングだったが、その車の中で同級生の女性と余分に話し合えるオマケが付いて、良かった、良かったということでもあった。 


 本当はもう一日山の家でお泊りして、帰ってくるつもりにしていたが、台風が来ている・・・家の周りには邪魔で放り出したものがいろいろあったことを思いだし、急遽岐路に着いた。 つまり昨日夜に帰ったことになるが、はがしたトタン板などはまとめてブロックを上に乗せておいりして、一応応急処理だけをして寝た。


 今日の仕事


 再び階段仕事をする。 側板と二階の梁の取り付きが悪かったので、もう一度取り付をやり直すことから始める。
 この部分は最初少し寸法を取り違えて横に切込みを入れてしまった箇所で、その後始末と言えばなるほどとなるが、言ってみれば誤魔化し仕事である。 この手の仕事は結構多いものである。 ただ意図的な手抜きはしていないし、それどころか普通なら見えないからと逃げてしまうところでも、馬鹿丁寧なことをしたつもりである。 ただ仕上がりの完璧さのための仕事はあまりしなかった。 それはまだまだ腕が未熟ということもあるが、表面の傷一つない見てくれのためだけに仕事はしたくないというオフの性格のせいかもしれない。
 最近の家は工業製品のような仕上がりの完璧さを要求されている。 所詮は人間のやることである、また天然の素材の性質などを考えればそれを求めるのは無理というものだ。 それを求めるからいきおい建材物ベタベタの家が出来上がってしまう。 それは工業製品であり、たとえば車のように最初が一番奇麗で完璧なのである。  そしてだんだん使っていくうちに劣化し、流行遅れになったりしていくものである。 年月を経てますますその良さが出てきたり、輝きが増し愛着が出るというものでは決してない。 今手掛けている古民家も大正初期の家であるが、正確には300年以上経っていると訊いている。 というのは大正期に一度解体して使える材はもう一度使って(柱ヤ梁などはほとんど再利用されている)建て直しているからである。 今度オフが手直して、腐ったり外されていた根ガラミなども新たに入れ直しているから、耐用期間がまたかなり延びたはずである。

 壁側の踏み板の受けは、この土蔵から出た材を再利用した。 少し見てくれはよくないかもしれないが、丈夫さを優先させて床から材を立ち上げて受けることにした。 下から四段の90度曲がる階段仕事の途中までして今日の仕事は終わる。