昔の話 6

 人は誰でも一番可愛いのは自分で、最終的には自分のために行動している。 大人の世界は、口では誰々のためとか、何かと美談めかせて言っているが、結局自分のための損得で動いているんだ。 このことをオフはかなり小さい頃から知っていたような気がする。 
 そのことを教えてくれたのは間違いなく反面教師であるばあちゃんの存在だった。 祖父をはじめとして、大人達のもっともな話の裏に醜いものを垣間見た時、と言うか正しくは、本音を隠してもっともらしい言い訳や美談にして誤魔化したりする話に触れると、心の内で、この嘘つき!と馬鹿にしてしまうようなまったく可愛くない子供だった。 


 ばあちゃんは昔は侍の家だったというが、昼から酒を飲んでいる父親に尋常小学を一年行くか行かないかで芸者の置屋へ売られている。
 学はないが、どちらかといえば頭の良い人だったと思う。 新聞も時々声を出して読んでいた。 おっ漢字も読めるジャン!とオフが横で囃すと、そんなもの知らんでも読めるわぃ、と答えていた。 だいたいの前後の文章の流れを見てカンで読んでいたのだと思う。 字を書けると知ったのはオフが大学時代だ。 一度だけだったが全部カタカナで書かれた手紙を受け取った。 この手紙には何が書いてあったか忘れたが、とにかく参ってしまい、泣けた。
 彼女の人生にはいろいろなことがあったと思うし、人に比べても苦労も尋常ではなかったろうと思う。
 ばあちゃんの二の腕には刺青が彫られていた。 しかし、その刺青はその後青く塗りつぶされて、何が彫ってあったか判読できなくなっていた。
 オフは子供心に、そのことに関しては訊いてはいけないことだと何となく知っていた。  今にして思えば、刺青は以前は*命と彫ってあったような気もする。 そうだとすればそれを消したのだから、その前後のいきさつはおおよそ推察できるというものだ。
 金とキンタマは邪魔にならないものだ、最後に頼りになるのは金だけだ、と時々言っていた。
 しかし、自分より目下のもの、弱いものに対しては徹底して馬鹿にして、扱いにむごいものがあった。 昔、自分もそのような扱いを受けながら育ったからだと言えばそれまでだろうが、逆に自分がそれだけ惨めな思いをしたのだったら、そのぶん下の者には思いやりを持ってもよさそうなものだが、人はなかなかそうはならないもののようである。
 このばあちゃんのことに関しては、両親がオフを置いて家を出たいきさつ。 今回まったく触れなかったが親父をいじめ抜いた関係。 二番目の母親も家を出たいきさつ。 三番目の母親が家こそ出なかったが、寝たっきりのばあちゃんの介護を拒否したいきさつ。 そしてばあちゃんとの関係で長年鬱病に苦しんだ女房のこと、などなどいろいろある。  しかし、良くも悪くもそんなばあちゃんとの関係の中でオフは成長した。
 最後は嫌がっていた女房と二人で介護をし、見取った。


 どんな小心な人でも、その生涯には自分では意識しないながらも数々の博打を打っているものだと思う。 コツコツと昨日と同じ今日、今日と同じ明日を生きることに満足できる人はめったにいない、決してそれだけでは終わりたくないと時には思うものである。
 人は、そのたとえ小さな小さな博打のその先に、つまり明日に、その人なりのどんなバラ色の夢を見ているだろうか・・・もちろんそれは知りようがない。  そのバラ色の夢の中に、ある種のギリギリのろころでの最後の人の本音と願望があるのだろうと思う・・・ が、それを真顔で言うどころか・・・それを自分で自分がそれを認めるのが恥ずかしくて出来ないくらいのものではないかと思う。 だとしたら、オフを連れ戻した先の、ばあちゃんのバラ色の夢とは、何だったのだろう・・・


 ばあちゃんが亡くなってしばらくしてから、オフは約二十年関わった会社を他人に売った。
 まわりの全員、誰一人として賛成するものがいなかったが・・・もうやめる、と言って押し切った。
 その少し前に、俺はこんなことがしたかったのではなかったなぁ、と思う一夜を過ごしたからである。


 今日の仕事


 寸法を間違えていたことが分かり、寸法を取り直して作った階段の側板を柱のホゾと二階の梁に入れようとカケヤで叩いていたら、なんと側板が梁に引っ掛けるために刳った部分で割れ裂けてしまった。 針葉樹、とくに桧は割れが入りやすい材なのだが、まさか厚さ4・5センチの板がこんな簡単に割れるとは思わなかった。 嗚呼、5000円也が無駄になった。
 気分転換に風呂場のタイル張りに仕事を移したが、ここでも30センチ角の大きなタイルを一枚落として割ってしまった。
 このタイルは篠山で買ってきた12枚の内の1枚でこれには予備がない。 30センチ角もある中国で作られたインテリアタイルで、値段は特売で100円前後と信じられない値だが、買いに行くのに往復二時間以上も掛かるのだ。 きれいに二枚に割れていたので繫ぎ合わせて誤魔化して張っておいたが・・・
 階段の踏み板が届く。 集成材だが45ミリの厚さがあるし無節のタモ材なので10枚でなんと6万円もした。 節あり材だと日にちが掛かると言われて買ったが、集成材であっても、とにかく無節材は高い。
 側板の替えを買いに行ったのだが、板は割れやすいので止めて急遽柱材を買って二本抱き合わせて使うことにした。 その方が簡単そうだと思ったのだが、やってみると同じように面倒である。 それに墨付けをして加工して今日の仕事は終わり。