昔の話 5

 銀行になし込みをしても、しても、すぐまた手元が回らなくなり新たに金を融資してもらう。 とにかく当初の借金は少しも減らないという状態がずっと続いた。 それでも何とかつぶれなかったのは現金商売だったことでツケや手形を受け取ることがなかったからだろう。  今考えるとオフ達の給料は金利の仕払いの一部になり、それで何とかまわっていたのだろう。

 そんないつ潰れてもおかしくないような最悪の状態の店が、ある日を境に急にお客が押しかけるようになり、やたら儲かるようになったのである。
 それは残念ながらオフたちの涙ぐましい努力の賜物ではない。 昭和56年暮れにフィーバーという機械が出て、世にフィーバーブームが起こったからである。
 ようやくオフたちが会社に貸し付けていた給料も戻ってきた。 言ってみれば給料をを全額貯金していたようなものだから、その時は急に金持ちになったような豊かな気分になったものだ。 オフが田舎へ帰ったのは長男が生まれた年で、昭和50年、苦しかったのは正味この間の7年間だった。

 しばらく前まで、店を開いているのにいつまでたってもお客が誰一人と来ない、がらんとした店に大きな音で音楽だけが流れている、などという焦って空廻りするような嫌な夢を時々見ていた。 が反面その頃は、とにかく何とかしなくてはというそれだけの思いで毎日仕事に関わっていた。 今振り返るとあの頃のことが妙に懐かしい。 ある意味ではその後商売が軌道に乗り、儲かるようになって店舗を拡張していった頃よりずっと毎日が充実していたような気がする。


 ばあちゃんの大博打というのは、オフを田舎に返すため、オフを自分の手元に置くため、そのために打った二億円かけての大博打だった。
 その頃彼女は高血圧で高齢の祖父にどこかで見切りをつけ、その代わりオフを手元に置きたかったのだと思う。 彼女の心の中の漠然とした不安があり、ある日立派な店があれば可愛い孫が帰ってくるだろう、そう思い付いたのだろうと思う。 その結果、たしかに目に入れても痛くない可愛い孫は帰ってきた。  後日ばあちゃん本人の口からそれをあらためて訊いた時、前に書いたように開いた口が塞がらなかったと同時に、言いようもない憐れみみたいなものをも感じた。
 皮肉なことに可愛い孫は立派な店があったから帰ってきたのではなくて、その店が今にもつぶれそうになっていたから帰って来たのだが、それは言わないでおいた。 そしてその大博打のために周りの人巻き込んで、全員が薄氷を踏むような毎日を過ごすことになったことも・・・今更そんなことを言って怒ってみてもしょうがないことだった。

 小さい頃オフはばあちゃんに、お前が大きくなったらどうするのだ、とよく訊かれた。
 大きくなってお金持ちになって、ばあちゃんに楽をさせて上げるのだ、とオフは答えていた。 それだけならまことにほほえましい光景だが、それを何度どころではなく、何十回となく訊かれ、その都度オフはそのように答えていた。 その内に小さなオフの心の中に、何でに同じことを何回も、何回も言わせるのだろう、と思いが生まれ、ある時から意地でも返事をしなくなった。 それに驚いてばあちゃんは怒った。 前に言っていたのに、何で今になって言わないのだ!そう言ってオフを叩いたこともあったと思う。 それでもオフは意地になって黙っていた。 その内にばあちゃんはそのことについてそれ以上訊かなくなった。
 
 そんなばあちゃんの逆鱗に触れて、突然烈火のごとく怒られたことが二度ばかりあったことを記憶している。
 一度目はオフがまだ小学の低学年の頃だったと思う。 ばあちゃんが年寄りになって動けなくなったら、お前どうする? と訊かれたことがある。 
 オフはそれに対してまさにハキハキと、その時は老人ホームへ行けばよい、と答えた。 その言葉を訊いてばあちゃんは一瞬カタマッテしまった。
 この薄情もの!と子供に向かってまさに烈火のごとく怒り出した。 その時オフは何でばあちゃんが怒っているのかまったく分からなかった。 その頃オフは老人になると老人ホームへ行くもので、そこは老人にとってとても良い所だと思っていたからだ。
 それにもう一度、これは中学の頃だったと思うがはっきりしない。 その頃映画か何かで見てて覚えて、機会があれば一度言ってみたいなぁというセリフがあった。 ある時、そのセリフをばあちゃんに向かって言った。 それを訊いた時もばあちゃんは烈火のごとく怒った。
 そのセリフというのは、金の切れ目がぁ〜縁の切れ目よぉ〜、というセリフであり、オフはワザと芝居めかせて言って、笑いをとろうとしたのだったが・・・   


 今日の仕事


 風呂場のタイル貼りをしようと思っていたが、まだ下地のモルタルが十分乾いていない。  昨日塗った玄関土間の珪藻土の上に表面硬化剤を塗る。この硬化剤はアルカリ性らしい。
 珪藻土は湿気をすう吸湿作用があるといえば聞こえはよいが、接着剤や硬化剤などを沢山使って無理に壁や土間に塗りつけている訳である。
 硬化剤は一度目の塗りの時はあっという間に滲みこんで表面が乾いてくるが、二度目、三度目となるとだんだん滲みこまなくなる。 そうすると後は表面が乾くと硬化して固まるらしい。 その後土蔵の周りにブロックを積む仕事したいのだが雨が降ってくる。 雨に濡れながら以前の箱階段を解体する。 
 午後から土蔵の周りを片付け始めたが、また小降りだが雨が降ってきたので中止して、階段の側板の隅付けをして、いよいよ切り込んで加工にかかった。 側板だけでなく側板がホゾとして入る柱や梁にも切り込んでホゾ穴を作る。 ところがそれを入れようとしたが大きさが少し違って入らない。 少し大きく作っていたが、大きくてまだ良かった。 何か間違いをしていたみたいだが、調べるのは明日落ち着いた状態でやることにした。