昔の話 1

 昨日、夢のことから思いが過去へ少しさかのぼったが、自分の過去についてはいずれ詳しく書こうとと思っているのだが、今日は簡単に触れてみよう。


 昔若い頃に読んだ吉本隆明が、若者の状況ということで以下のように書いていた。
 今の若者が田舎を捨てて都会で暮らしをするには、自由だが貧しい暮らしを余儀なくされる。 一方田舎へ帰っれば、暮らしには少しは余裕があるだろうが、いまだに因習的な社会で自分達の考えや思いは捨てざるをえない不自由な暮らしを余儀なくされる状況にある、などと書いていた。
 ところがオフの場合自分から帰ったわけではないのだが、帰った田舎では都会にいた頃より以上の貧しい暮らしが待っていた。


 オフは両親にではなく、祖父とその内縁の妻 (オフはばあちゃんと呼んでいたが)の育てられて大きくなった。
 オフが生まれた敗戦後すぐからオフが小学校へ上がるまでの期間、祖父の職業は何と!ばくち打ちであった。  そんなものは職業ではないと思われるかもしれないが、ばくちを開帳するのは戦前は違法なことではなかったのであり、それは大っぴらではないが一応認められた職業であった。 
 ばくち打ちと言うより、より詳しく言うならいわゆる<貸し元>業というもので、言ってみれば博打を開帳する元締め業であった。
 しかし、戦後になると賭博を開帳することは法で禁じられて、違法となったが、祖父はそのまま戦後も数年間それをナリワイとしていたのである。
 オフが幼稚園の頃、借家の二階で賭博を開帳している場へ警察が踏み込んできたこともある。 その時のことはオフはうろ覚えであるが、二階のガラス窓に体当たりして下へ飛び降りて逃げた男もいたことを覚えている。 祖父は賭博開帳の罪で警察にしょっ引かれ、起訴され、裁判で有罪になったはずである。 その時の結果はなんとなく訊いていたが、正式に訊いていないので推測だが・・・
 
 そんな流れから、オフが小学校へ上がる年に祖父は当時流行り始めていたパチンコ業に転換した。 当時、祖父は56歳だったと思う。
 面白いのはその時に資金を出してくれたのは、オフのばあちゃんは昔芸者をしていたが、ある年寄りの旦那に身請けされて妾をしていたのだが、その旦那の息子である。 身請けした旦那はすでに年寄りだったので、しばらくばあちゃんを囲っていた後、当時賭博場で若頭をしていた祖父に譲ったのである。 その息子は、大体ばあちゃんと同じくらいの年頃だったと思うが、死ぬまで時々家へ遊びに来ていた。 推測するに息子は若い頃に、自分の父親の妾が好きだった時期があったのではないか、ひょっとしたら父親の目を盗んで・・・ということがあったかもしれない、と思う。

 なんだか書き出したら長くなりそうなので、今日はここまで・・・
 

  今日の仕事

  
 引き続き外壁の腰板張りをした。 これで腰板張りの仕事に五日間も係っている。 先のテラスサッシの仕事といい何かと手間取ってしまい、予定時間を大幅にオーバーしている。 何ぼなんでも腰板張りは今日で仕上がるつもりだったが、今日でも終わらなくて明日に持ち越してしまった。

 正面の南側は低い天井の下に上部の枠である押さえ板を当てて、そこから普通の張り方とは逆に上から下へと張っていった。 腰板は3メートルあって結構長く、上から一人で張るというのは意外と面倒な作業になる。 最後の下部の枠を止めてから少し離れた所から見てみたが、本当は水平ではないのだが、全体が傾いているので水平になって見えるものである。
 その後、西側の壁面を張って行く。 ここは壁面が半柱を挟んで同じ出ではないので、上部の枠である押さえ板を二重にして壁面との隙間を塞ぐ。 
 最後に東側にも腰板を張ったのだが、ここも窓枠の下から張ることになるので、上部から張った。 狭い箇所な上にブロアーの線をい内部に取り込む作業もあり下部の枠が同じ高さでないので面倒な仕事となる。 結局6時を過ぎた時点で嫌になり明日に持ち越すことにした。