悦に入る

 お昼ごろから雨が降った。 たいした雨ではないが、午後からの仕事で汗をかかずにすんだ。
 綾部の家の元の持ち主は車一台通れるような細い道路を挟んで隣に住んでいる。 その前の持ち主の持ち物がまだいくらか残っている。
 大きなものではピアノ、ソファー、たんす数点(和ダンスなどはまだ中に着物類が入っている)鏡台、机、本箱などなどがある。正直困っているのだが、すぐ近所であることもあり困っているんですとあからさまに言うことも出来ない。
 それにそのほか蔵の中のものは、そんぐりそのまま残っている。 いずれ蔵の内部も手がけるつもりだが、その時まではこのままにしておいてもいいのだが・・・
 戦後われわれは大量のモノを買い込み、そのモノに取り囲まれて生活してきた。 たしかに今でもホームセンターや100円ショップに行けば、あればチョイ便利なものがあふれている。 そしてそのようなモノを買うとたしかに自分の生活がより豊かになるような気がするし、モノを買うこと、つまりショッピングそのものは楽しいし快感でもある。 チョイトした不満も買い物をすることで解消されるということはあるだろう。 その結果われわれは大量のモノに囲まれて暮らしているが、さほど豊かな感じもなく、押入れや箪笥にモノを押し込んで忘れているだけである。
 最近になってモノが少ないシンプルな生活が、実のところ豊かさを実現してくれることに気づき始めた人々もたくさんいるが、なかなかそのシンプルな生活に戻れないでいる。 モノを大切にする、あるいはもったいないという感覚は、モノがあふれかえっている生活のをしている中では決して実感として生きてこない感覚なのだろうと思う。 モノがないシンプルな中でこそ、生活実感として生きてくる感覚だろうと思う。


 今日の仕事
 昨日失敗した垂木の取り付けをやり直す。 今日は隣の垂木との取り合いを見るだけでなく、一本一本水平を見る器具と差し金を使って角度を確認し、さらに離れたところから目で見て確認するやり方で進めた。 ようやく全部の垂木を仮止めして取り付け、後はお昼前に来た弟に120センチと150センチ(昔でいう5寸釘)の釘と玄翁(ゲンノウ)が入らないところはコーススレッドで完全に止めてもらった。 最後に端口に広小舞という断面が三角の板を仮止めして、雨が降っていたので天井面が濡れるので野地板を仮に乗せておいた。 板を載せて横から見るとなんだか様になって見えて今日の仕事を眺めながら一人満足して悦に入った。