人工多能性幹細胞

 爽やかな五月の一日だった。 最高気温が24度と夏日手前だったが、乾燥しているので暑くても気持ちが良い。
 田舎では大方の田んぼで田植えが終わっていたが、当地はまだまだ代掻きどころか水も張っていない。 麦の穂が少し色付きはじめていて麦秋も近い。
 
 昨日の日記を見た田舎の友人や息子や娘からボチボチと連絡が入る。 オフのブログを少数の友人達が見つけて読んでいるのを知っているのでこの話を周りに広げないように昨夜メールを入れておいた。 誰かと逢った時に何だかんだと聴かれたり、説明するするのがわずらわしいからだけであるが・・・。
 今日嫁さんから電話が入り、この病気の場合、初期のステージではあえて治療をしないで、ある程度進行状況を観察することがままあると聴かされる。
 おお〜っ! と言うことは・・・無理しなければボチボチと仕事も出来るということではないか!
 小さな失敗を繰り返し今の仕事のコツみたいものをようやく掴み始めている、次はももう少し早くきれいに仕事をこなせると自信を持ち始めているところだ。 さらに今度の家は百年経っているわりにはあまり手が加わっていなくて、建築当時の仕様をかなり残している願ってもないような建物である。 それを当時の仕様をできるだけ残し、現代的な感覚で暮らせる家に大胆に作り変えようと思っていた。 これが最後の仕事になっても悔いがないような仕事をしたい・・・と思い始めている・・・


 オフの母親も骨髄系の病気で60歳過ぎで亡くなっている。 今日弟の嫁さんに電話して病名を確認したら、再生不良性貧血と言われていたが実際には診断書には赤芽球白血病と書かれていたと教えてもらった。 オフが母親の死亡した病名を知らないのは、オフの両親が離婚していてオフは父親、弟は母親が引き取っていて、母親はその後弟連れで再婚している。 さらにややこしいのはオフは父親に引き取られたのではなく、物心付く前から祖父と彼の内縁の妻に育てられていた。 親父はその後二度再婚している(笑) その辺はややこしいのだが、血を分けた兄弟である弟とオフは姓名こそ違うが大人になってからフランクな付き合いはしている。
 どうやらわが系統は骨髄系の疾患の因子を持っている流れの中にいることは今回のことで裏付けられたようだ。 京大の山中教授の人工多能性幹細胞の合成、いわゆる万能細胞の作成によりこの分野での成果が今後期待されているので、オフは間に合うかどうか分からないが、息子、娘が60歳になるまでにはではおそらく治療法が確立されているだろうと思える。


 今日の仕事


 ようやく部屋の片付けをを始めた。 左官屋が各部屋に古いゴザや養生シートを敷いたそれをはがすことから始めたのだが、その内に照明器具などが入ってきたダンボールを解体することになる。 それを終わり、サッシ窓のガラスをビニールシートの上で割って通箱に詰める。 ガラス片と家具などの大きなものを軽トラに積んでクリーンセンターへ運ぶ。 その後、箒でアラアラのゴミを掃き、各部屋に掃除機を掛けていく。 考えてみると左官屋が仕事に来てから今日初めて掃除機を掛けたことになるから、約二ヶ月ぶりの部屋掃除である。 まだまだ運び出すものがあるが、週末はゴミの運び込みを受け付けないので来週の運び出しとなってしまう。