今の気持ち

 田舎で二泊、神戸で一泊して今夜帰ってきた。 途中の第二神明道路は事故で三キロほど渋滞していたので、約三十分弱ほど到着が遅れた。
 どちらかと言えば運転は嫌いなので、自分としては強行軍であった。 田舎には訊いていた通り雪がなかった。 今頃ならどんなに少なくても1メートルから1・5メートルほど積もっている山の家周辺も、ところどころ地面が見えているという信じられない状態だった。 自宅の裏にはすでにフキノトウが出ていた。 時間があれば炒めてフキノトウ味噌を作るのだが・・・そうそう、まったくやれやれな話だが、自宅の近くの田んぼに大きな大根が2、300本ほど棄ててあった。
 

 今回は数ヶ月ぶりに田舎の友人と鍋を囲んで酒を飲み交わした。 席上友人たちは今年は日本一の山、富士山に登る話をしているのだが参加しないか、と言う話があった。  あいにくだが全然登りたくないのだ。 それに還暦の集まりの際に、同級生同士の旅行の話も決まったらしいがそれにも参加したいという気などはまったくない。 来ていた年賀状を今頃やっと目を通したが、その中に夫婦でイタリアを旅行している途中の写真入の年賀状があったが、夫婦で海外旅行してうらやましいなぁという気持ちも少しもない。 今の自分の気持ちの中には、暇が出来たら云々とか、停年したら云々、などということが入りようがないようだ。 とにかく今は寝ても醒めても古民家のことで頭が一杯である。


 この先後何件の家を改装できるか分からないが、とにかくもうこれでいいやぁ、とか、もうこれ以上身体が付いていかないなぁ、と自分で思うまでそれに関わりたい。 そうして自分に何が残るのか・・・何がしのお金が儲かって残るのか、それを事業として誰かに受け継いでもらいたいとか・・・たしかに今の言葉で言えば自分の中にスキルは高まるだろうが、形として残るものは何もなくて良い・・・と言うか・・・それを辞めた後はごくごく普通の老人になるだけで、それで十分満足だ、と言えるだけのような気がする。 そしてこれは間違いなく言えるとことだが・・・それは、今が自分の人生の中で最良の時を過ごしている、という手応えのある実感がある、と言うことだ。 ここへ来るまでずいぶん回り道をしてきたような気もする、、またそれはそれで致し方なかったような気もする。 そういうことよりも、とにかく今はここへ来れて良かったなぁ、と思っている。
 であるから・・・こんなことを言い出すと、嫁さんが哀しい思いをすると思うが・・・たとえ今、自分が死んでも別に何の問題もない、と思っている。 やりたいことは山ほどあると言うか、時間がもっともっと欲しいと思うが、それはそれで切りのないことで、それがたった今終わっても、この先何年か後に終わっても、それは結局同じことなのだ、と思うのだ。