粗大ゴミの山
朝の気温が15度ほど、日中の最高気温が25度ほど、その差が10度前後。 暑い夏が去り、厳しい冬が来る前のこの一時節が一番良い時節でもある。 秋の日差しの中、彼岸花やコスモスが咲き風に揺れている柿の実もかなり朱色に色づいててきた。 うきうきした春のとは違うが、何処ということもなく何処かへ行きたくなる、そんな季節である。
昨日木材を棄てにクリーンセンターへ行ってきたが、そこの裏の崖の下の駐車場の横に、家具などが主にだが山と積まれていた。
その山がおおよそ100メートルほど奥までずっと続いているのである。 見るなりに、こんなものは片っ端からドンドン燃やせばよいのにと思ったが・・・一つ一つ見るとほとんどがまだまだ使えそうな物ばかりである。 古くていかにも重そうな昔の家具、新しい建材ものの軽そうな家具、よくもこれだけ棄てるものがあるなぁと思えるほどある。 たかが人口数万の綾部市だけでこれだけあるのだから、日本全国を合わせるとどれだけの家具類が棄てられているのだろう? このような光景を見るたびに、われわれは底の浅い文明の中に生きているなぁという思いを実感する。 二十世紀後半から先進国ではアメリカを中心とする消費は美徳であるとする文明どっぷり浸かっているが、結局人々は石油という地球規模のタンス貯金を使って快適さ便利さを追求しているだけである。 もちろん家具類だけでなく、家もそうだし、今は米だって石油がなければ生産できない世の中だろう。
衣食住全般が石油漬けになっているのが今の文明なのだ。 このような光景を見るにつけても早く石油が枯渇すればよいがなぁ・・・とついつい思ってしまうが、そうなる前には間違いなく持てる者と持てない者との間に大きな争いが起きるだろう・・・
人間の作ってきたもの、つまり文明とは建設と破壊の繰り返しだということは分かっているつもりだが・・・今度ばかりは思うだけでも大変な結果になるのは間違いない。
今日の仕事
朝、土蔵の窓枠とブロックの間の壁を塞ぐ意味でレンガを七個積む。
舞鶴の産廃業者の電話を入れると今日も営業は平常通りやっていますという。 昨日積んでおいた木材を舞鶴まで運ぶ。 今回の材木は半分腐っている材だったので、単価は合板並みでキロ20円でこれなら綾部市のクリーンセンターと変わらない。 ただここでは戸障子ドアなどの古い建具類も引き取るというので近々もう一度行くことになる。
弟のところに立ち寄って珈琲を飲んで帰り着いたのが11時半。 この時間だと仕事をするのも中途半端で、途中で買ってきた万願寺獅子唐芥子をきざんで椎茸と炒め合わせナンバ味噌を作る。
午後からは金属類を軽トラに積む。 一度前に引き取る人がいたので金属類はさほどないのだが、アルミサッシの窓障子はガラス付では引き取っていかなかった。 まずテラスサッシの大きな枠は真ん中をグラインダーで切断してバラバラにしてから積む。 テラスサッシの大きな窓障子が8枚、中廉の窓障子が6枚ある。 玄関先に大きなビニールシートを引いてその上にブロックを二個立ててそこを目掛けてガラス窓を倒してガラスを割る。
割れたガラス外しまわりに入っているゴムの押さえを外してから車に積んでいく。 最後に割れたガラスをゴミ袋に入れて・・・なんと一杯にして8袋!もできた。
なんだか知らないが、このような非生産的な仕事は意外と疲れるものである。