雪の重み

 田舎のアヤメ婆の家の嫁さんから電話があり、家の大屋根の垂木が全部折れてしまって屋根が下向いている、と泣くような声で電話があった。
 下の家は今年の夏、屋根瓦を全部葺き替えてその時に野地板まで取り替えたのだったが、垂木はまだ大丈夫と見て残した。 その垂木が雪の重みで折れたのだろう。 まあ、直してもらうとしても大きな家だから安くても100万円は掛かるだろう。 今年は瓦の葺き替えのほか便所も水洗にしたり、孫が遊びに来た時落ちると危ないのでと言って、家の周辺に鉄柱でガードを拵えたりコンクリートで固めたりして・・・下の家は今年はずいぶん物入りな年だったというのに、最後の最後に雪で垂木が折れるとはツイていないなぁ。
 にわかに我が山の家も心配になってきた。 まだ全面的に屋根を直してもらってから7年とまだ新しいのだが、この先もう少し雪が降れば危ないだろう。 雪下ろしを請け負った業者は正月開けに予定していると言っているだが、それまでに雪が降らないことを祈るばかりだ。 予報によるとさいわい4日ごろまでは寒気も一休みらしい。 予定していた通り明日にでも田舎へ帰ってじかにこの目で様子を見てこよう。

 そういえば山の家の屋根の仕事をやったのは先日亡くなった大工さんだった。
 仕事をしていても、何かと大工さんのことを思ってしまう。 思うのは、何で死ななければならなかったのだろうかと・・・いうことばかりである。
 この年暮れに起きた出来事だから、おそらく年末に手形でも落ちないのが分かっていてそれを苦にしてだろうか、しかし所詮お金のことなら、自己破産すれば済むことで、命まで絶つことはなかったろうにと思うが・・・おそらく彼の中の物語が崩れると恐れたのだろう。
 人は自ら作り上げた物語、すなわち<幻想>の中でつじつまを合わせて生きているのであるが、最後にはどうあろうと作り上げた物語を全部ぶち壊すことが必要なのだが、なかなかそれは簡単には出来ないことなのだ。
 国家だとか、愛だとか、神だとか、名誉だとか、お金だとか、家族だとか・・・すべてそのものではなくて、われらの内なる幻想、すなわち<物語>なのである。  そうは言っても、死にいく人はほとんど最後は欝に取り付かれてしまっているから、普段のときとは人が違ってしまっているのものだしなぁ・・・
 
 
 今日の仕事
 
 昨日立てた半柱の横にヌキを4本入れて固定する。 前に立てた柱や半柱にL型金具を入れて固定し、ヌキを止めていく。
 これで玄関横の口の間とその奥の茶の間の二部屋の和室と玄関ならびにダイニングとの間の仕切りの下地が全部終わった。
 その後、ラスボードをカッターで切りそれぞれの仕切りのヌキの前側と後側に当てて壁下地をする。
 これで一段落した。 お次はまず玄関上の天井を壊すというか撤去して、新たに塗り壁下地をしてから上に吹き抜け天井を造る仕事に入っていくことになる。