映画 「ドア・イン・ザ・フロアー」

 夕方神戸から帰る。 行きは嫁さんの車に乗っていったが帰りは列車でかえってきた。 
 福知山線である、昔ほんの少しの間宝塚の山際に住んでいたことがあった。 当時は一時間に一本の列車が走るローカル線そのものだった福知山線の列車が窓の下を走っていた。 懐かしくて車窓に目を凝らしていたが昔住んでいた生瀬という駅は知らない間に過ぎてしまった。
 後は新しく出来たトンネルの連続の後三田駅に着いたが、田舎町だった三田はすっかり都市郊外の街に変身していた。
 福知山線の複線は三田までで後は単線に変わり、車窓の都市近郊の風景も三田までで、篠山、丹波などはまだまだ田舎そのものたたずまいである。 
 
 嫁さんのマンションの下の階には病気の両親と兄がいるのだが、最近は病気ながらも三人とも比較的安定していて静かに暮らしている。
 母親は糖尿病から来るボケ症状が出ているのだが、今回オフの訪問をきっかけに軽い躁状態になり、過去の有ること無いことがごちゃごちゃと思い出されて食事もそこのけでしゃべる、しゃべる状態になってしまった。 もっともしゃべる後からどんどん忘れていくのだが・・・


 行った次の日の午後から神戸のハーバーランドへ映画を見に行った。
 タイトルは「ドア・イン・ザ・フロアー」 アメリカの作家ジョン・アービングの小説『未亡人の一年』を映画化した作品である。
 これまでアービングの小説を映画化した作品は何本か見ている。
 古くは「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」から、最近では「サイダーハウス・ルール」などである。 どの作品もその時代時代の知的なテーマを中心に据え、見る前の期待を裏切らない素敵な作品に仕上がっていたと思う。 今回はこの作品が初作という監督の映画だったが、原作者がこの監督で大丈夫だ思って映画化を同意したのだろうが、もし条件を一つ付けたとするなら、細部は出来るだけ具体的に描け・・・と言うことだったのだろうか(笑)
 というわけで今回も期待して出かけ訳たが、その期待に答えるだけの内容を持っていた。
 見ながらこのテーマは小説ではなくて映画として表現するのにはかなり難しいのになぁなどとと思ったが、ちゃんと伝わるものは心にズシンと伝わってきた。
 R−15指定になっていたが、そういう意味ではなくて内容そのものが大人の映画で、多分若い人にはこの中に出てくる若者エディに肩入れしてしまえば???な映画だろう。


 人の人生には避けることが出来なく心が深く傷ついてしまう事件に出会うことがある。  また相手を深く愛しながらもどうしても一緒にやっていけなくなることもある・・・いったんつまずいてしまえば人はもろいものである。 しかし人は崩れ落ちそうになりながらもその後の生を生きて行かざるを得ないのだが・・・月並みな表現で言えば、深い悲しみを心のドアにしまいこみながら、とか、運命に翻弄されながら生きていく、などということになるのだろうが・・・
 深く傷ついた男と女の、その後の人生への微妙なスタンスの取り方の違いもディテールにこだわり心憎く描かれていたと思う。
 長年連れ添った相手のことを酸いも辛いも含めて分かっている積もりでいても、本当のところ分かっていないことがほとんどなのだ、ということが再び分かりかけて来たオフぐらいの年齢でこのような映画を見ると、心の奥の方がざわざわするのが止められなくなるものである。 一方でアービング特有の子供っぽいようなおふざけのユーモアーも各所に適度に配されていて、久しぶりに良い映画を見たなぁと満足した。
 オフの評価点 85点