浜美枝の持ち家

 朝のうち一面乳色の霧が出ていた。 向かいを流れる上林川から立つ朝霧だろうか。 その朝霧も日が昇ってくるとまさにいつの間にか、霧散してしまう。 終日秋晴れのさわやかで良い天気だった。 仕事をしていても汗が流れるということはもうない。 よって休憩中に水分をがぶ飲みするということもない。

 一昨日、帰郷するとき綾部から若狭湾の大飯へ抜ける道を走っていて、途中に気になる茅葺の建物があった。
 その建物は綾部側から行くと小さな峠を越えた福井県側の佐分利川沿いの山際にぽつんと一軒建っている。
 そこを少し過ぎたあたりには若狭出身の作家水上勉を顕彰している一滴文庫の静かなたたずまいの建物などもある場所である。
 そして昨日、帰り道その建物が見えてくるのを今か今かと気にして通り過ぎた。 横目に見ながら通り過ぎた後、車を止めてしばらく考えた。 やっと決意がつき、引き返してその家へ続く車が一台やっと通れるような細い道を奥へと入っていった。 山際にひっそりと建っていて、トタン板を被せない茅葺のままのその建物にはあきらかに最近人が住んでいる気配はない。  車から降りて草茫々のその家の敷地内に入ろうとしたが、なんとなく気が引ける、あたりを見回すと、少し離れたところに小屋があり、そこに動く人影を見た。 そこへ歩いていくと、その人影は有機肥料を一輪車に積み込む作業をしている背の低いおじいさんだった。
 聞くとその茅葺の建物はかつて女優をしていた浜美枝さんの持ち物だそうだ。 浜美枝さんはたしか古民家が好きで、箱根あたりに何軒かを解体して自分好みに新たに建て直した古民家に住んでいると何かで読んだことがある。 そうか、それなら無理だなぁと思ったが、あのままにしておくのはもったいないなぁ、と言うと、そうだああして人が住まないでいると、もうすぐ萱は抜け落ちてしまうだろう、とおじいさんは言う。
 茅葺の家の屋根は、囲炉裏を焚いていつも燻してやらないとすぐ腐って抜け落ちてくる。 以前に女の子が一人でしばらく住んでいたことがあったが、虫がたくさん発生したと言って逃げ出していったよ、と笑っている。 
 二階に寝室をを作った関係上どうしても天井を張ることになったが、それはあんな建物には良くない、あの建物としてはやってはいけないことばかりやっているので、長くは持たないだろう、とおじいさんは笑う。 さらに浜美枝さんは多分持て余しているんじゃないかな、と言う話になり、それでは話をすれば譲ってもらえるのかなぁ、と切り出すと、それは話し次第だろう、との答えだった。 そこの土地の持ち主と言う人の家を教えてもらってお礼を言って辞す。 その後さっそくその部落内の聞いた家を尋ねるが、御主人は留守で簡単に尋ねた理由を言って後日また訪れると言ってそこも辞して帰ってきた。  物好きだだなぁ、と自分であきれ返っているが、駄目元でいつか話をしてみようと思っている。


 今日の仕事

 奥の部屋の北側の押入れになっていた箇所を壊す。 本来この場所はここの家が建ったころは裏側の縁側だった箇所である。
 当時板の雨戸が入っていたと思われるが、そのベンガラ塗りの赤い雨戸を外側から釘で打ち付けて壁にして、押入れを二箇所作り直してあった。
 しかし北側のこの面をを塞ぐと、風が家の中を通り抜けなくなる。 特に日中は海風で北の若狭湾から一山超えて吹くの裏の北風が、夜は陸風で正面の南側の風が建物を通らなくなってしまう。 そこでかどうか知らないが、裏の部屋にはクーラーが配置されていた。
 それを元に戻す、と言うより半分は戸袋付の吐出しの窓にして全面開口し、半分は押入れにするつもりである。
 それならば壁を半分壊せばよいようなものだが、貫(ヌキ)を入れたちゃんとした塗り壁にするつもりで全部壊したわけである。
 この仕事が簡単そうでたいへんだった。 何とならば簡単なベニヤと板だけの壁なのに大きな釘やコースレッドをめちゃくちゃに多く使って垂木をガチガチに組んであったからだ。 そんなにガチガチにしても、湿気を持つたのだろうベニヤの接着がはがれてダレ下がってしまっていた。 


 今夜から神戸に行く。 明後日嫁さんの姪が結婚式を挙げ、それに出席するためである。 内輪に対して同じように籍を入れたオフの披露目もあるということで、出席する運びとなった。 二、三日この日記はお休みになる。